海外文学読書録

書評と感想

長谷部安春『野良猫ロック セックス・ハンター』(1970/日)

★★★

米軍基地の町・立川。不良少女グループを率いるマコ(梶芽衣子)が仲間と喧嘩した際、数馬(安岡力也)というハーフと知り合う。一方、バロン(藤竜也)率いる不良少年グループはハーフ狩りをしていた。バロンは米兵に並々ならぬ恨みがあり、それをハーフにぶつけている。バロンは不良少女グループを白人に売り渡し、一方でハーフを町から追い出そうとするのだった。

野良猫ロックシリーズ第3弾。

梶芽衣子、安岡力也、藤竜也の3人がとても良かった。梶芽衣子は西部劇風のいでたちがよく似合っている(黒いハットが最高!)。佇まいもハードボイルド風でクールだ。一方、安岡力也は後年の肥満体型とは打って変わって痩せている。生き別れの妹を探しつつ暴力に巻き込まれる彼には切羽詰まった悲壮感があり、終盤では主演の梶芽衣子を食っていた。そして、藤竜也はコンプレックス持ちの悪党である。相変わらず不敵な不良を演じていて存在感があった。

バロン率いる不良少年グループがヘイトクライムに従事している。これが現代の在特会みたいで面食らった。だいたい不良ややくざというのは古来からマイノリティがやるものだが、それをマジョリティがやっているのだから驚きである。迫害の対象にしているのはアメリカ人と日本人のハーフ。根底にはバロンの個人的な恨みがある。面白いのは、アメリカ人(白人)とは特に敵対していないところだろう。あろうことか白人の乱交パーティーに日本人の女を提供している。結局、やっていることは弱い者いじめなのだ。力のある白人とはよろしくやりつつ、力のないハーフは迫害する。また、力のある白人に力のない女を差し出す。要は強きを助け弱きを挫いているのであり、それはヘイトクライムの一般的な傾向と合致する。実に救い難い。

バロンには不能のコンプレックスがあって、それが無自覚なミソジニーを誘発している節がある。というのも、彼は不良少女グループを白人に売っているし、また、手下に女をレイプさせている。そのくせマコには惚れていて、彼女だけ乱交パーティーから救い出した。女全般を嫌いつつも特定の女だけは好きでいる。そういった矛盾に引き裂かれたバロンは悪党と呼ぶには中途半端で、それゆえに悲しみを誘う。数馬との銃撃戦では彼と一緒にいたマコを人質と勘違いしていて健気だった。

マコが白人の群れに火炎瓶を投げ込むのは70年安保の写し絵だろう。しかも、使用している瓶がアメリカの象徴コカ・コーラである。劇中にはコカ・コーラの瓶がこれみよがしに出てくる。あるハーフはコカ・コーラを運搬する仕事をしていたし、また、主要人物の数馬はボウリング場で女とコカ・コーラを飲んでいた。良くも悪くも戦後日本はアメリカの影響を強く受けている。その産物がコカ・コーラでありハーフなのだ。そして、悲しいことにアメリカの影響力は未だ衰えていない。それどころか日本から反米の芽はすっかり摘み取られている。我々にはもう火炎瓶を投げ込む気骨はなかった。その事実を確認するたびに涙が出てくる。

余計なエピローグのないラストは昔の映画ならではだ。現代だとエンドロールが流れて余韻が台無しである。本作みたいにぶつ切りで終わる映画はかなり好きだ。