海外文学読書録

書評と感想

武田一成『ネオン警察 ジャックの刺青』(1970/日)

★★★

上岡組と十和田組が縄張り争いをしている。そこに流れ者の花村勇治(小林旭)と倉原俊太郎(郷鍈治)がやってくる。十和田組は上岡組と結託した不動産屋・野田(青木義朗)によって追い詰められていた。花村は十和田組の味方につき、倉原はそのサポートのため上岡組に潜入する。2人は不利な方を助けて荒稼ぎするやくざ者だった。花村は歌手の桜井麗子(夏純子)と男女の仲になるが……。

こういうのを見ると、当時の日活は本当に落ち目だったのだと思う。日活アクションのテンプレートをケレン味のある演出で誤魔化していてちょっときつい。特に終盤でジャンプカットを多用したのは理解に苦しむ。ただの手抜きではないか? 一方、やたらとエロシーンがあるところは日活ロマンポルノへの布石みたいで面白かった。ねっとりした濡れ場が複数あるし、おっぱい要員も惜しみなく投入している。思うに、コンテンツは稼げなくなるとエロに走るのだろう。僕はそのことを素人の生配信で実感している。というのも、雑談で稼げない女配信者がアダルト向けASMR配信に転じることがよくあるのだ。エロには集客力がある。本作は落ち目のコンテンツの一つの例として興味深い。

最終的にスタート地点から状況が悪化するのが日活アクションの伝統のような気がする。たとえば本作の場合、暴力団の抗争で一儲けしようとして花村と倉原がやってくる。その過程で花村が麗子と恋仲になった。ところが、最終的に彼は倉原と麗子を死なせてしまう。敵陣営に討ち入りして復讐を果たすも何の実入りもない。花村は虚ろな目をして一人町を去っていく。こんな結果になるなら最初から容喙すべきではなかった。本作は『血の収穫』【Amazon】のプロットを踏襲しているが、コンチネンタル・オプほど上手くいかない。主人公は一儲けできなかったうえにかけがえのない存在を失っている。こういったほろ苦さこそが日活アクションの伝統であり、我々はその虚無感を味わうために何本も似たような映画を見ている。

不動産屋の野田が「法律に勝てる暴力はない」と言って合法的に十和田組を追い詰めている。昨今の経済やくざの先駆けではなかろうか。個人的には当時猖獗を極めていた学生運動を連想した。周知の通り、学生たちは非合法的な手段で体制側に反抗したが、ものの見事に蹴散らされた。国家が持つ暴力装置の前に敗北したのである。法律の背後には警察という巨大な暴力装置が存在する。民間の組織ではとてもじゃないが太刀打ちできない。法律の背後に暴力装置がある以上、「法律に勝てる暴力はない」のである。法律の力は国家が持つ暴力装置によって担保されている。そのことを理解している野田は賢い。

とはいえ、本作はフィクションだからそんな野田たちを主人公が非合法的な暴力で殲滅するのである。そこがスカッとするポイントなのだ。我々が持つ私的な暴力は、国家が持つ巨大な暴力装置によって抑止されている。本当だったら好きなときに好きなように暴力を振るいたい。自分だけ自由でありたい。そういう願望を銀幕のスターが代行している。暴力の快感とそれがもたらす虚無感。両者のバランスが日活アクションの肝と言える。

主演の小林旭は頭髪にパーマをかけて無精髭を生やしている。今までのイメージと違ってワイルドな風貌だ。これはこれで悪くない。そして、本作でもっとも格好良かったのが安岡力也で、彼が「女は汚ねえ」と吐き捨てるたびに心がときめいた。真理アンヌを射殺するときのロングショットもいい。安岡は後年の肥満体型からは想像もつかないほど痩せており、銃を構えるだけで様になっている。