★★★
1964年。ミシシッピ州の田舎町ジュサップで3人の公民権運動家が行方不明となる。FBIからルパート・アンダーソン捜査官(ジーン・ハックマン)とアラン・ウォード捜査官(ウィレム・デフォー)が派遣されてきた。町では黒人差別が横行しており、住民たちは白人も黒人も捜査に非協力的でいる。捜査官と話した黒人は家を焼かれたりリンチに遭ったりするのだった。
社会問題をエンターテイメントの枠組みに落とし込んでいる。こういう映画を作らせたらハリウッドはピカイチだ。どんな題材も分かりやすく噛み砕くのは重要で、そのためなら俗情との結託もやむなしである。エンターテイメントとはいえ、意外と教育的な効果が見込まれるのではなかろうか。暴力の恐怖や差別の不条理をこれでもかと見せつける。本作を観て、今後アメリカ南部には足を踏み入れまいと誓った。
田舎は人材の流動性が少なく、人間関係が固定化される。一生ここで暮らすから周囲に合わせないと生きていけない。小さな共同体が世界のすべてであり、法律よりもローカルルールが優先される。おまけに農業で食っているような地域だからみんな貧しい。アンダーソンは貧困が差別の原因だと喝破し、また、ある人物は教育によって憎しみを植え付けられていると吐露している。憎しみは生まれつきものではない。田舎の鬱屈が人々を差別に走らせている。
南北戦争によって奴隷は解放されたが、北部と南部の断絶は解消されていない。南部からしたら奴隷解放は武力によって北部の規範を押し付けられたものだ。納得して解放したわけではない。南部の白人はそのことを20世紀に入っても根に持っている。だから既存の差別構造を破壊するものは「悪」だし、自分たちの罪を暴きにきたFBIも憎悪の対象である。一般的な社会通念と善悪が逆転しているところが田舎の怖いところだ。倫理的な正しさよりも自分たちのローカルルールが優先される。本作で描かれた人種差別はアメリカ固有の問題ではあるが、田舎の閉鎖性を暴いたところは普遍性がある。
本作の特徴は暴力描写がえげつないところだ。一人の黒人を複数の白人が縄で吊るしあげる。教会から出てきた黒人たちをKKKの面々が襲撃する。黒人が住む家屋を白人たちが焼き打ちにする。日常の中に当たり前のように暴力が存在している。世界最大の先進国とは思えない光景だ。奴隷制に端を発する差別構造をいつまでも引きずっている。人類は歴史を超克できない。21世紀の現代もあらゆる差別が残っているわけで、一度作られた構造を破壊するのは難しいと痛感する。
事件の解決方法が非合法的な手段によるもので、個人的にはそこが乗り切れなかった。暴力に対して同じような暴力で対抗する。バレたら不起訴になるような手段で自白させる。一観客としては型破りな解決方法にスカッとすべきなのだろうが、どうせならもっとスマートに解決してほしかった。これでは俗情との結託が行き過ぎている。また、3人も殺したわりに軒並み刑が軽いのに拍子抜けした。最高でも懲役10年である。この釣り合ってない感じが喉に刺さった魚の小骨のように引っ掛かる。