★★★
シングルマザーの麦野沙織(安藤サクラ)は小学5年の息子・湊(黒川想矢)と2人暮らしだったが、息子が担任の保利道敏(永山瑛太)から暴力を受けていると聞いて学校に乗り込む。ところが、学校側はのらりくらりと躱して手応えがない。一方、奏には星川依里(柊木陽太)という友達がいたが、依里はクラスの男子たちから虐められている。
羅生門スタイルによる三部構成は各自の視点の相違が強調され、最後に物事の全体像がクリアになるところにカタルシスがあった。しかし、後から考えると沙織と学校側の直談判は観客を引っ掛ける意図が露骨すぎた。特に保利の不誠実な挙動が誇張されていて、話し合いの最中に飴を舐めさせたのが腑に落ちない。だから視点が変わって実はいい教師だったと手のひら返しをしたのが作為的に感じるのだ。確かに彼は変人だ。誤植を見つけて出版社に報告するのが趣味だし、恋人には夜景のことをただのフィラメントと言ってノンデリぶりを発揮している。当初は多様性サイドの人間かと疑ったが、学校ではすこぶるまともな教師だった。だから沙織視点でのあの挙動が露骨なミスディレクションに見えてしまう。不誠実なのは登場人物ではなく、脚本を書いた坂元裕二ではないかと勘繰ってしまう。確かにギャップを作らないと視点を変えたときに驚きがなくなるが、かといってそのために不自然な行動をとらせるのもおかしい。羅生門スタイルが本当に良かったのか疑問だった。
沙織と学校側の直談判はカフカ的であり、我々が教育現場に抱くステロタイプをそのまま表現している。学校側は形だけの謝罪をして責任をとろうとしない。校長(田中裕子)は自我を失った人形のように沙織と接している。一方、学校側からすると保護者はモンスターだ。一時期モンスターペアレントという言葉が流行ったように、教師から見て保護者は厄介なクレーマーでしかない。校長の不誠実な対応も学校を守るためだった。こういった分かり合えない関係を物事の裏と表から映し出したところは良かった。
依里がLGBTなのかは判然としない。小学5年生だから性的に未分化なだけという気もする。ただ、その性的指向ゆえに父親(中村獅童)から虐待され、クラスの男子たちから虐められているのは事実だ。周囲は男の子に「男らしく」あることを望む。また、沙織も息子に対して「普通の家族」であることを望んでいる。みんな悪気はないのだろうが、「普通」からはみ出した異物は否応なく排除されてしまうのだ。最近はSNSでTERF(トランス排除的ラディカルフェミニスト)が暴れている。「性別は二つだけ」という理屈でトランスジェンダーを攻撃している。そんな彼らも本作を見たらその主張を引っ込めるしかなくなるだろう。物語には他人の立場を思いやる効果がある。
とはいえ、無垢な子供をダシにしているところは引っ掛かる。我々がLGBTを嫌うのは彼らが「気持ち悪い」からだが、子供が演じることでその嫌悪感はだいぶ軽減されているし、むしろ「気持ち悪い」と思うことに罪悪感を抱かせるよう仕向けている。これはちょっとずるいのではないか。また、嵐によってすべてのいざこざが洗い流され、奏と依里は手を携えて野山を駆けていく。こういった光景が様になるのも2人が子供だからだろう。汚いおじさんが演じるのとは訳が違う。この辺はルッキズムに頼っている感じがしてもやもやした。
映像は相変わらずリッチで手間をかけて撮っているのが伝わってくる。生活感と清潔感を上手く両立させていた。