海外文学読書録

書評と感想

鈴木清順『散弾銃の男』(1961/日)

★★★

散弾銃を持った男・渡良次(二谷英明)が山に入る。当地には製材所があり、そこの流れ者たちが村の治安を悪くしていた。酒場には用心棒・ジープの政(小高雄二)がいて何かと良次に突っかかってくる。色々あった後、村の私設保安官・奥村(高原駿雄)が暴漢に襲われ、良次が保安官代理になった。奥村には妹・節子(芦川いづみ)がいる。

ストーリーが微妙に破綻しているが、それでも西部劇としてはなかなか面白い。ならず者がちゃんとならず者をしている。山林地帯のロケーションも日本らしくて良かった。

やはり西部劇は男らしさを巡る話になりがちで、去勢された我々現代人はその荒々しさにぎょっとする。山に入った良次はのっけから3人組にリンチされてるし、橋を渡っていたらその橋を落とされて川にドボンしてしまう。村に着いて酒場で飯を食っていたらナイフで邪魔をされた挙げ句銃の抜き打ち勝負になった。何もしてないのに酷い仕打ちだが、これらはならず者が仕掛けたテストであり、良次が自分たちの仲間にふさわしいタフガイであるか試したのである。ここは人里離れた無法地帯。警官がいない代わりに村の青年団から選んだ私設保安官がいる。ところが、ならず者たちはその保安官を舐め腐っていた。そういう世界で生きていくにはやはり暴力に秀でている必要がある。散弾銃を担いだ良次は無法地帯で暮らすだけの資質があった。

良次のライバルになるのがジープの政で、殴り合ったり抜き打ち勝負をしたり何かと張り合っている。良次には北アルプスで何者かに恋人を殺された過去があり、ジープの政はその鍵となる真珠のネックレスを持っていた。ジープの政はこの時点で恋人殺しの最有力候補である。だから2人は因縁を深めていくわけだが、終盤になって雲行きが変わる。犯人は別にいたのだ。ジープの政の正体が実は~というのはさすがに無理がある。それだったら命懸けで良次と張り合う必要はなかったし、そもそもなぜネックレスを持っていたのか謎だ。そして、ここのロジックがスムーズじゃないから展開が場当たり的に見えてしまう。脚本が安いのはプログラムピクチャーの宿命ではあるが、これなら残虐描写に特化したマカロニ・ウェスタンのほうがマシだと思う。

ラストの決闘シーンが消化不良だ。3人のならず者と撃ち合いをしているのに良次が不殺を貫くのである。おそらく日本の法律とすり合わせようとした結果こうなったのだろう。確かに本家アメリカの西部劇とは違い、現代日本で銃殺は不自然だ。そもそも決闘だって法律で禁じられているわけで、復讐を果たすには官憲に突き出すしかない。良次のやったことは法的には正しいが、映画としてはどうにも消化不良なのである。せっかく銃撃戦をしているのだから3人まとめて散弾銃で撃ち殺してほしかった。相手は恋人を強姦して殺害した憎き連中だ。命をもって償わせないとカタルシスがない。撃ち合いの快感は人殺しの快感とイコールであり、我々は現実でできないことをフィクションに求めている。

良次がアコーディオンで弾き語りをしているシーンが印象に残っている。歌の内容に哀愁が漂っていた。昔の日活映画はやたらと歌を挿入してくる。