海外文学読書録

書評と感想

ルチオ・フルチ『荒野の処刑』(1975/伊)

荒野の処刑 (字幕版)

荒野の処刑 (字幕版)

  • ファビオ・テスティ
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★★

ギャンブラーのスタビー(ファビオ・テスティ)、娼婦のバニー(リン・フレデリック)、アルコール依存症のクレム(マイケル・J・ポラード)、墓堀り黒人のバド(ハリー・ベアード)が、ソルトフラッツの町から追放される。町は自警団による暴力で悪が一掃されていた。馬車で南へ旅するスタビーたちは、チャコ(トーマス・ミリアン)という銃の名手を仲間にする。ところが、一行はチャコに裏切られるのだった。

マカロニ・ウェスタン。中途半端な詐欺師が孤高のヒーローに成長するロードムービーである。随所で西部劇の定型を外そうと頑張っているが、そのせいで気の抜けたコーラみたいになっている。出来損ないのアメリカン・ニューシネマというか。ジャンルの衰退期に作られたよく分からない映画だった。

序盤がもっとも異色でドラマティックではないか。自警団が町の浄化作戦を決行しているのだが、その様子が半端ない。悪と目した人間を射殺したり、縄で吊るしたりしている。そこで行われたのは一方的な殺戮だった。自警団の面々は白い覆面を被っていてまるでKKKである。保安官はそれを見て見ぬふり。この町は悪の巣窟だから仕方がないと放っておいている。これじゃあ、どちらが悪なのか分からない。無法者に対してより大きな無法で対応しているのだから。留置所に入ってたスタビーたちは保安官のお情けで助けられ、やさしく追放されるのだった(スタビーの金は奪われたが)。

チャコは本作のラスボスであり、父性を体現する人物だ。銃の腕前は尋常じゃないし、スタビーたちにはない世慣れた知識も持っている。荒野で出会った頼れる異邦人という感じだ(インディアンみたいな服装をしている)。しかし、その正体は非情な悪党で、娼婦のバニーをレイプした挙げ句、一行の馬車を奪っている。命だけは助かったスタビーは復讐を誓うのだった。

復讐が目的になるのはマカロニ・ウェスタンの定型である。面白いのはこの復讐が「父殺し」であるところだろう。スタビーにとってチャコは自分の上位互換のような無法者。言ってみれば超えるべき壁である。それを殺すことによってスタビーは孤高のヒーローに成長する。通過儀礼としての殺人が本作に余韻をもたらしている。

とはいえ、この殺人が不意打ちであるところは面食らう。アメリカの西部劇のように正々堂々勝負するわけではない。ほとんど寝込みを襲ったような形である。スタビーに撃たれて負傷したチャコは、スタビーを卑怯者呼ばわりするのだった。しかし、スタビーは動じない。目的のためには手段を選ばないという態度である。そもそもスタビーに銃の腕前はないから、正々堂々勝負していたらチャコに殺されていた。力なき者は卑劣な手段に訴えるしかない。このアンチヒーロー像は強烈だが、一方で気の抜けたコーラみたいでつまらないと思う。定型を外すことが面白さに繋がっていないというか。盛り上がりに欠けるし、どうにも釈然としない復讐だった。

旅の途中、妊娠していたバニーが産気づいたため、スタビーは牧師の案内で近くの町に立ち寄る。そこは鉱山の町で男しかいなかった。住人には賞金首も混ざっていたが、みんな気のいい男たちである。彼らは赤ん坊の誕生を我が事のように喜んでいた。バニーが産褥死した後、スタビーは男たちに赤ん坊を託して旅立つ。僕は思わずツッコんだ。養育の責任を放棄するのかよ! 愛する女の子供なのにそれを置いて出ていく。ここに煮えきらないものを感じた。