海外文学読書録

書評と感想

ジュリオ・ペトローニ『暁のガンマン』(1968/伊)

★★★

流れ者の青年ティム(ジュリアーノ・ジェンマ)と巨漢のハリー(マリオ・アドルフ)が酒場で意気投合する。ハリーはティムの勧めで銀行に金を預けるも、それは大掛かりな詐欺だった。逃亡したティムを見つけたハリーは金を返すよう迫る。ところが、金は既に使い込まれていた。ティムは新たな儲け話を提案し、2人は行動をともにすることに。ティムは無法者たちに追われていて……。

マカロニ・ウぇスタン。プライム・ビデオの看板画像が誰なのか分からない(IMDbも同じ画像である)。ジュリアーノ・ジェンマでもなければマリオ・アドルフでもないと思うのだが。誰だこいつは?

意外と映像のクオリティが高くてびっくりした。画面の色彩が鮮やかで、西部開拓時代は実際にこんな感じだったのではと錯覚させる。建物、服装、小道具のくすんだ風合いがいい。また、男衆が朴訥な出で立ちをしているのに対し、女衆は華やかな出で立ちをしている。このような対照的な光景も眼福だった。

予算もまあまあかかっているように見える。町のセットはセットに見えないくらい年季が入ってるし、たったワンシーンのために汽車まで用意している。さらに、家を丸ごと爆破しているのもすごかった。あの爆破はガチである。建物が破壊されることの何て美しいことか。本作はストーリーはともかく、映像は見ていて気持ち良かったと断言できる。やはり歴史もので重要なのは映像の説得力だろう。同じマカロニ・ウェスタンでも、『復讐の用心棒』とはまた違ったアプローチだった。

ティムは元々無法者集団に所属していただけあって、他人から奪うことしか考えてない。ハリーが汗水垂らして稼いだ金をペテンにかけて奪っている。その後も金塊の強奪を企てているし、飄々とした人柄のわりにやってることはえげつない。ただ、強盗に及ばないところが救いだろう。力ではなく頭を使って奪うことに注力している。僕みたいなしがない小市民は、奪われる痛みを日々味わっている。だから他人から奪うことに対して忌避感が大きい。ティムが屈託もなく金品を奪うのが恐ろしく見える。とはいえ、西部劇の世界は弱肉強食の世界。生きていくということは究極的に他人から奪うことなのだ。無法者のセカンドキャリアは甘くない。持たざる者は頭を使って上手く立ち回る必要がある。ティムの詐欺師としての立ち居振る舞いは、彼なりの生存戦略なのだった。

窮地からの逆転劇が本作の見せ場で、そういうシチュエーションが2回ある。どちらもロジックとアクションが小気味いい。敵を撃ち倒す瞬間にはえも言われぬ快感がある。また、本家アメリカの西部劇より無法者が凶悪なところも特筆すべきだろう。この辺はラテン系の血の気の多さが反映されているような気がする。

ハリーが火吹き芸をやってテントが火事になるシーン。あんな危険なシーンをよく撮ったものだと感心した。まさに火の取扱いにはご用心である。