海外文学読書録

書評と感想

パオロ・ビアンチーニ『西部の無頼人』(1968/伊=西)

★★★

南北戦争末期。流れ者のクレイトン(クレイグ・ヒル)は妹と旅をしていたが、町に立ち寄った際、妹が宿屋で強姦されたうえに殺害されてしまう。遺留品によると殺ったのはジャック・ブラット(ホセ・マヌエル・マルタン)だった。クレイトンは彼を追って武器商人マレック(アンドレア・ボシック)の敷地へ。そこにはアロマ(レア・マッサリ)という女が囲われていて……。

マカロニ・ウェスタン南北戦争というアメリカの建国神話を背景にしているのが新鮮だった。今だったら文化盗用とか言われそう。しかし、門外漢にとっては他国の神話を語ることの背徳感がたまらない。

西部劇の魅力はやはり個人主義の世界を扱っているところだろう。政府が提供する治安が行き届いておらず、自分の身は自分で守るしかない。生きていくことはサバイバルであり、頼れるのは己の力だけである。すべてが自己責任の世界。これこそリバタリアンが理想とする社会だろう。象徴的なのが武器商人マレックで、彼は己の敷地に無法者を囲い込んで小さな軍事勢力を形成している。ここではマレックが意のままに振る舞っており、個人の完全な自治を達成しているのだ。この集団は法を拠り所としていない。個人個人が自由意志で集まっている。すべては金という共通目標のために。だから瓦解するのもたやすく、マレックは自己責任で凋落している。

復讐はただ殺すだけでは駄目で、対象になるべく苦痛を与える必要がある。しかし、拷問をやるのはハードルが高い。エンターテイメントのヒーローには一定の「正義」が求められるから(だからこそA・J・クィネルのバイオレンスが光る)。本作はどうするのかと思ったら、対象にロシアンルーレットをさせていた。落とし所としては悪くないと思う。肉体的苦痛ではなく精神的苦痛を与えていて、見ているほうもハラハラする。一定の「正義」に適っているのではないか。強姦殺人には釣り合わないとはいえ、ちゃんと復讐を果たしているところに感心した。

外国映画の醍醐味はロケーションにある。本作の荒野は日本ではお目にかかれないから思わず見入ってしまった。荒野にポツンと建物が存在しているのがいい。極端に人口密度の低い土地は治安の面で不安だけど、画面越しだから他人事として眺められる。危険をポルノとして消費できる。危険を目にすることで自分が安全であること、すなわちセーフティの感覚が得られるのだからたまらない。日本という成熟した社会に生きていて良かったと思わせる。

敵の溜まり場に乗り込んだクレイトンは窮地に陥るが、女を連れて行ったおかげで助かる。このロジックが光っていた。無理を言ってついてきた女はたいてい足手まといになるから。期せずしてヒーローとヒロインが対等な関係になっている。