海外文学読書録

書評と感想

サム・ペキンパー『荒野のガンマン』(1961/米)

★★★

北軍兵のイエローレッグ(ブライアン・キース)は、南軍の捕虜になった際、そこの兵士に頭の皮を剥がされかけた。あれから5年、彼は復讐を夢見ていたが、酒場で偶然その相手と出会う。そいつはターク(チル・ウィルス)というイカサマ師だった。イエローレッグはタークとその相棒ビリー(スティーヴ・コクラン)に近づき、銀行強盗を計画する。町に着いた3人はキット(モーリン・オハラ)という子持ちの未亡人と出会い……。

哀愁漂う西部劇だった。てっきりイエローレッグの復讐劇に終始するかと思いきや、話は微妙にずれて彼がキットの護衛をすることになる。イエローレッグが誤ってキットの息子を射殺してしまったのだ。キットは息子を埋葬するため、息子の父親が眠る墓地へと向かう。その旅路にはアパッチ族がいてとても危険だった。イエローレッグはキットから憎悪の感情を剥き出しにされるも、贖罪のつもりか彼女を護衛する。当初はタークもビリーも同行していたが、途中で町へ逃げ帰ってしまった。そのため、イエローレッグは先に進めば進むほど復讐から遠ざかることになる。「仕返しだけが生きがい」の彼にとっては大きな痛手だった。本作は復讐劇という枠組みを取りながらも、イエローレッグとキット、わだかまりを抱えた2人の関係が焦点になっている。

イエローレッグの人物像が目新しかった。彼は古傷のせいでまともに銃を使えない。撃っても的に当たらないのだ。これは西部劇において大きなハンデだけど、彼は何とか銃撃戦をせずに危機を切り抜けている。一見すると強そうに見えるせいか、タークもビリーもすんでのところで早撃ちを挑んでこない。アパッチ族が出てきた際も、戦うことなくただ隠れている。やってることと言ったら、せいぜい夜陰に乗じて馬を奪うくらいだった。ここまでガンアクションを見せ場にしないのも、西部劇では珍しいのではないか。一応、最後に復讐相手と銃撃戦を演じるものの、案の定、相手に弾が当たらない。勝てる気配がまったくしない。じゃあ、どうなるのかと言ったら、結局は漁夫の利で相手を戦闘不能にしている。こういう筋運びは今までの西部劇にはなかったと思う。

悪役タークの人物像も変わっていて、彼は自分の軍隊を作って将軍になることを夢見ていた。そのためには銀行強盗をして、資金を得ることが必要だという。この誇大妄想がどこから来ているのかよく分からなかった。強いて言えば、南北戦争だろうか。彼は南軍の兵士だったし。時計の針を元に戻したかったのかもしれない。