海外文学読書録

書評と感想

パット・バーカー『女たちの沈黙』(2018)

★★★★

トロイア戦争末期。リュルネソスの王妃ブリセイスがアキレウスの奴隷になる。アキレウスはブリセイスのことを戦利品としか見ていなかったが、彼の親友パトロクロスはブリセイスにやさしくしてくれた。そんな矢先、ギリシア連合軍の総大将アガメムノンアキレウスにブリセイスを寄越すよう要求する。戦利品を取り上げられたアキレウスは戦争をボイコットすることに。

あの女は彼の戦利品だ。それだけのこと。彼の名誉ある戦利品。それ以上でも、それ以下でもない。あの女そのものとは何の関係もない。いま彼が感じている心の痛みは、単に戦利品が盗まれた――そう、盗まれたのだ――ことへの屈辱にすぎない、大切な点すべてで自分より劣っている男に。町は次々に包囲され、略奪され、兵士たちは殺され、そんなふうに単調な血なまぐさい争いがつづき……。そして、やつにあの女を奪われる。あっという間に、それがつらい――女を奪われたことそのもでなく――侮辱されたこと、自尊心を傷つけられたことが。そう、それだけのこと。(p.165)

イリアス』【Amazon】を女目線で語り直している。これがまた面白い。ブリセイスは奪われた者、沈黙を余儀なくされた者で、彼女に声を与えることで『イリアス』に違った光を当てている。叙事詩とは男たちの英雄譚であり、それを奴隷、しかも女が物語ることは必然的に英雄の弱さに注目することになる。ブリセイスから見たアキレウスパトロクロスには新鮮味があった。

アキレウスがマザコンなところが面白い。アキレウスの母親は海の女神テティスだが、今では離ればなれになった。ブリセイスに海の匂いを嗅ぎ取ったアキレウスは、女を愛撫する男から腹をすかせた赤ん坊に変貌する。一方、アキレウスにとっては幼馴染のパトロクロスも母親代わりだった。アキレウスパトロクロスを全面的に信頼しており、心と体で通じ合っている。彼らは2人だけの親密な関係を築いており、それを他の英雄たちに見透かされているのだ。現代日本ミソジニーは醜悪だが、古代ギリシアミソジニーは甘美だ。男同士にしか分からないものを大切にしているから。アキレウスパトロクロスの間にはブリセイスも入れない。それどころか、どんな女も入れない。男とは内心では女なしでやっていきたいと思っているのであり、本作はそういったミソジニーを顕在化させている。

名誉が重視されるところも典型的な男社会だ。アキレウスくらいの地位なら女なんてよりどりみどりのはずだが、ブリセイスを取り上げられたことで激怒する。ブリセイスは自らが勝ち取った戦利品だから、彼女を取り上げることは財産権の侵害になる。いや、それ以上に自尊心を傷つけるものだ。いくら総大将といえどもこの侮辱は許せない。後にアキレウスが求めたのはアガメムノンの謝罪であり、戦利品の返還は二の次になっている。男というのは他の男から一人前の男として認められたい。自分の男性性を尊重してもらいたい。アキレウスアガメムノンも女の気持ちを意に介さず、名誉を至上のものとする男社会のゲームに興じている。そういった前時代的な価値観は現代人が見るとクラクラするほど眩しい。男女平等の社会になって本当に良かったのか、と疑問に思うほどだった。

トロイアの王プリアモスが息子ヘクトルの遺体を引き取りにアキレウスの陣にやってくる。短刀も持たず、命の危険も顧みず。アキレウスプリアモスの勇気に敬意を表して遺体の返還に応じる。プリアモスを捕縛すればそこで戦争は終わったのに敢えてそうしなかった。本作には男社会の美徳が詰まっている。