海外文学読書録

書評と感想

石井輝男『網走番外地』(1965/日)

★★★

橘真一(高倉健)ら受刑者が冬の網走刑務所に収監される。雑居房では依田(安部徹)という牢名主が幅を利かせていた。強盗強姦殺人未遂の権田(南原宏治)、強姦の夏目(待田京介)、老人の安久田(嵐寛寿郎)、前科十三犯の大槻(田中邦衛)など、新入りたちはそれぞれ自己紹介する。やがて房内で脱獄計画が起こり……。

高倉健というと、寡黙で不器用な渡世人みたいなイメージだったが、本作ではそこらによくいるイキった若者を演じていて驚いた。といっても、今風の反社ではなく、母親思いで、かつ筋を通すやくざものなので、現在のイメージに繋がるところはある。しかし、ここまで威勢のいい若者を演じていたとは意外だった。

冬の網走は一面が雪景色で、これは荒野を舞台にした西部劇を連想させる。囚人たちの関係は典型的なホモソーシャルであり、女人の入る余地のない極めて男臭い映画だ。終盤では橘と権田が手錠で繋がれたまま脱獄するのだが、この凸凹コンビが実に西部劇っぽく、その険峻な大自然と相俟って、北海道が試される大地であることを思い出させる。凍死の危機、餓死の危機、そしてトロッコでの追跡劇。この真っ白な空間は冒険に満ち満ちている。戦後の網走は、『ゴールデンカムイ』【Amazon】の明治時代からほとんど変わってないのではと思った。

劇中では橘の少年時代が挿入される。これがいかにも昭和的な機能不全家庭で、ある種のノスタルジーを感じるほどだった。未亡人になった母親の再婚相手、これがとんでもないクズ男で、妻子に対して独裁権力を振るっている。男の稼ぎは少ないらしく、家庭は貧乏だ。飯を食うにも困っているほどである。そんな半端者が妻子に対して威張り散らしているのだから家父長制とはつくづく罪深い。思うに、昭和的な家父長制だと父親次第で家庭が簡単に崩壊してしまう。家庭にとって最良のシステムとは何なのかを考えさせられた。

囚人では「八人殺しの鬼寅」が異彩を放っていて、一人で多数の囚人を制圧するところは迫力があった。刑務所においては犯した罪の大きさがそのままパワーに変換される。8人も人を殺して死刑にならないのは不思議だが、やくざ映画にそういうツッコミは野暮だろう。ともあれ、刑務所においては大量殺人が最上の「格」であることには間違いない。所属する場所によって不名誉が名誉になる。この社会のあり方が興味深かった。

それにしても、いい歳こいた橘が母親を慕って「おっかさん、おっかさん」言ってるのは違和感があった。こういうのって昔は美談だったのだろうが、今だとマザコンみたいで引いてしまう。ここ半世紀で日本人の価値観がだいぶ変わったことが分かった。