海外文学読書録

書評と感想

藪下泰司、黒田昌郎『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』(1962/日)

★★★

中東の港町に住む若者シンドバッド(木下秀雄)と少年アリ(黒柳徹子)が、停泊していた輸送船に密航する。船員に見つかった2人は、ハムディ船長(滝口順平)の許しを得てメンバーに迎えられる。やがて船は王国に寄港。王宮に呼び出された一行は、アーマッド王(永井一郎)とトルファ大臣(川久保潔)から宝物を所望される。アーマッド王は善人だったが、トルファ大臣は悪人だった。大臣はサミール姫(里見京子)に求婚しており……。

『バートン版 千夜一夜物語』は文庫で全11巻【Amazon】あるのだけど、若い頃の僕はそのうち6巻【Amazon】まで読んで力尽きてしまった。シンドバッドの物語は次の7巻【Amazon】に収録されているので、実は元ネタを読んでいない。さすがにこれはまずいような気がした。

昔のアニメ映画が「動き」の快楽を追求していたのって、子供向けのコンテンツとして割り切っていたからだろう。本作だと、シンドバッドによる乗馬アクションや、アリが孔雀の羽で空を飛ぶシーンなど、「おっ」と思わせるシーンがちらほらある。いずれも実写では再現が難しいシーンだ。そして極めつけは、シンドバッドと大臣の決闘で、短剣VS長剣の変則マッチはなかなか手が込んでいた。しかもこの決闘、大臣側には兵士も加勢してくるのだから一筋縄ではいかない。当時としては複雑な構図で「動き」を描いている。

このように「動き」の快楽を追求する姿勢は、後の宮崎駿にも受け継がれていて、周知の通り、彼によってアニメは芸術にまで昇華された。自分は子供向けの娯楽を作っているのだから、『ガンダム』【Amazon】みたいな思想はいらない。アニメとはあくまでアニメーションを見せるものなのだ。こういう考えって娯楽が多様化した現代では否定されがちだけど、僕はそのアナクロニズムに惹かれるところがあって、今に至るまで態度を決めきれないでいる。アニメの肝となるのは動きなのか? 思想なのか? 萌えなのか? いずれにせよ、宮崎駿が死んだら、「動き」の快楽を追求する姿勢もアニメ界から消えてしまうだろう。それはそれで寂しいと思う。

終盤に出てくる宝島の風景は、荒野と岩山が基本で、そこにサボテンやら食人植物やらが配置されている。そして、怪鳥とクラゲの化け物が辺りを徘徊しているのだった。この風景は思ったよりも弾けてなくて、正直なところ物足りなかった。アニメなのだからもっとすごい幻想を見せてほしいと思う。ここが唯一不満な点かな。

ラストでシンドバッドがお姫様に告白して結ばれるのは、この手の物語のお約束だろう。どんな宝石よりも素晴らしい宝なのがお姫様というオチ。とてもロマンティックである。でも、男性が女性を選び取る図式に疑問をおぼえる声も近年ではあって、それをディズニーがPCの衣に包んで再生産しているのだった。アニメ表現も不変ではない。古いアニメを観て、現代のアニメの地殻変動に思いを馳せた。