海外文学読書録

書評と感想

ドゥッチョ・テッサリ『夕陽の用心棒』(1965/伊)

★★★

もうすぐクリスマスのテキサス。エンジェルフェイス・リンゴー(モンゴメリー・ウッド)は正当防衛で悪党を返り討ちにするのが趣味だった。保安官ベン(ジョージ・マーティン)はそんなリンゴーを逮捕・勾留する。一方、巷ではサンチョ(フェルナンド・サンチョ)率いる強盗団が銀行強盗をし、クライド少佐(アントニオ・カサス)の農場に逃げ込んで立てこもった。人質の中にはベンの恋人ルビー(ハリー・ハモンド)もいる。ベンはリンゴーを釈放して農場に送り込む。

マカロニ・ウェスタンジュリアーノ・ジェンマモンゴメリー・ウッド名義でマカロニ・ウェスタンに初出演している。彼は本作のヒットをきっかけにして世界的スターにまで登りつめたらしい。正直、このジャンルに手を出すまで知らなかった。ちなみに、監督のドゥッチョ・テッサリアラン・ドロン主演の『ビッグ・ガン』や『アラン・ドロンのゾロ』も監督している。こちらもマカロニ・ウェスタンでは有名な監督である。

立てこもりの膠着状態を題材にしているところが面白い。農場では強盗団が大勢の人質を取って立てこもっている。それに対し、保安官率いる町の自警団が農場を取り囲んだ。例によって強盗団は非情なので人質を殺すことに躊躇いがない。包囲が解かれないと見るや、人質をどんどん殺していっている。強盗団は騎兵隊の到着を恐れていた。それまでに何とか脱出してメキシコに逃げ込みたい。騎兵隊は人質など構わず突入してくるという触れ込みだから。

そんな思惑に乗じたのがリンゴーだ。彼は保安官に工作員として送り込まれたのだが、条件次第では強盗団の側につくと揺さぶりをかける。リンゴーは凄腕のガンマンであると同時に優れた知恵者でもあった。強盗団はリンゴーを仲間として受け入れる。リンゴーはその状況を徒手空拳で立ち回る。西部劇が理想の男性を描く寓話だとすれば、本作において理想の男性像は知勇兼備だろう。男性は暴力に秀でているだけでは駄目。知力にも秀でている必要がある。つまり、ギリシア神話オデュッセウスこそが理想なのだ。リンゴーは自身がトロイの木馬となって強盗団から人質を救おうとする。その立ち回りが本作の見所である。

特徴的なのが、リンゴーが次々と使用する銃を変えていくところだ。だいたい銃に限らず道具というのは、自分が愛用しているものじゃないとしっくりこないものである。ところが、リンゴーは弘法筆を選ばずなのか、その場しのぎで銃を乗り換えながら戦っている。最終的には旧式の銃でサンチョを仕留めた。しかもその際、跳弾で相手を狙撃するという凄腕ぶりである。本作は抜き撃ちや早撃ちよりも銃撃戦に重きを置いている。意外とアクションを頑張っていた。

リンゴーの人物像が興味深い。彼は酒ではなくミルクを愛飲している。それをならず者にバカにされるのは西部劇の様式美だろう。リンゴーはベビーフェイスでおよそ人を殺すようには見えない(彼の異名はエンジェルフェイスである)。一見して男性性が希薄でありながら、男性性を存分に発揮するところにギャップがある。そして、リンゴーが初めて人を殺したのが7歳のとき、それも正当防衛だった。思うに、リンゴーが正当防衛で悪党を殺していってるのは、ここに源泉があるのだろう。さわやかな風貌でありながらどこか闇を感じさせる。そこが魅力的だ。

立てこもりの最中にクリスマス・イヴが来る。強盗団は屋敷でどんちゃん騒ぎをする。非常時でもクリスマスを祝うところが西洋らしくて微笑ましくなる。