海外文学読書録

書評と感想

長谷部安春『野獣を消せ』(1969/日)

★★★

プロハンターの浅井徹也(渡哲也)がアラスカから帰国する。妹は何者かにレイプされ自殺していた。バイクを走らせた徹也は不良グループに絡まれていた山室恭子(藤本三重子)を助ける。このグループは矢田(藤竜也)が率いており、米軍物資の横流しや婦女暴行の常習犯だった。グループは恭子を拉致監禁する。徹也は彼女を助けるためアジトに乗り込むが……。

量産品を量産品で終わらせない個性があってまあまあだった。ヒロイン役がいつもの松原智恵子ではなく藤本三重子なのは、松原智恵子では撮影できないようなシーンがあるから。要するにヌードシーンがあったのである。そして、藤本三重子は本作を含め生涯で5本の映画に出演しているが、Googleで検索しても何者なのか分からない(Wikipediaもない)。この辺はちょっともやもやした。

舞台は横田基地周辺。そのせいか生活がアメリカナイズされているのが印象的だった。みんな飲み物はコカ・コーラを注文し、煙草はマルボロを吸っている。不良グループはアジトでパンや生ハムを齧り、牛乳を飲んでいた。米兵と思しき外国人も何人か登場する。個人的な印象としては、60年代から70年代にかけての日本映画はアメリカの影が色濃い。これはベトナム戦争があり、安保闘争があり、沖縄返還が控えているだろう。そして、それらを抜きにしてもアメリカ式のライフスタイルには先進性がある。当時の日本人にとってアメリカは憧れだった。そのことを感じ取れたのが収穫だった。

矢田率いる不良グループは常習的に集団レイプしている。しかし、彼らは性欲を発散するためにそれをしているのではない。メンバー間の仲間意識を高めるためにしている。彼らにとって集団レイプは絆を深めるための儀式だった。この時代に男性のホモソーシャルを映像で表現していたとは驚きだ。セジウィックが『男同士の絆』【Amazon】を書いたのが1985年である。レイプシーンを見ると、確かに女性嫌悪と同性愛恐怖が見て取れる。異性愛者であることを証明するために、男らしさを誇示するためにレイプしているように見える。儀式としての集団レイプが表象されていて興味深かった。

クライマックスは徹也と不良グループの銃撃戦で、有名なスプラッタ描写が出てくる。銃撃によって足がもげ、はらわたが飛び出るのだが、この時代にこういうことをやったのは先進的だったのだろう。ただ、現代人はタランティーノの映画で慣らされているからあまりピンと来ない。それより徹也がガスバーナーを使って工作するシーンのほうが重要に見える。というのも、手慣れた様子でガスバーナーを扱っていたから。一歩間違えたら大火傷になる状況で玄人じみた手捌きを披露している。渡哲也は相当練習したのだろう。本作でもっとも危険なシーンは間違いなくここだった。

渡哲也はいつもの渡哲也で特に言うことはない。藤竜也も安定の藤竜也である。俳優で特筆すべきは川地民夫で、黒ずくめのニヒルな悪役を好演していた。命の危機に陥ってもまったく動じないのだから頼もしい。しかもそれでいて、愛用のバイクが燃やされたときは我を忘れるのだからお茶目である。本作のMVPは川地民夫だった。

本作の主題歌は尾藤イサオ「ワイルド・クライ」である。のっけから強烈なシャウトが響いていて映画の雰囲気に合致していた。