海外文学読書録

書評と感想

鈴木清順『すべてが狂ってる』(1960/日)

★★★

高校生の杉田次郎(川地民夫)は地元の不良グループに所属している。次郎はシングルマザーの家庭で育ったが、母・昌代(奈良岡朋子)は南原(芦田伸介)という男の世話を受けていた。次郎は南原のことを嫌って何かと母を責めている。また、次郎は不良グループの敏美(禰津良子)から好意を寄せられるが、彼女に酷いことをする。

原作は一条明『ハイティーン情婦』。

けっこういい感じのヌーヴェルヴァーグ川地民夫の若さが横溢しているのが良かった。ちょい役の吉永小百合も美人で目立っている。不良グループが野良猫ロックのそれと全然違うところも面白い(10年違うだけでこんなに違う!)。ただ、個人的には手持ちカメラをぐりぐり動かすのは勘弁してほしかった。焦点が定まらないから落ち着かない。画面酔いするほどではなかったけれど。

次郎のマザコンぶりが常軌を逸していて、彼は愛する母が南原と付き合っているのが許せない。10年もの間生活を支援してくれたのに敵意を剥き出しにしている。彼が不良になったのもここに原因があるのだろう。母が女であることを認められないのだ。ただ、この気持ちはちょっと分かる。自分の母が女の部分を出しておじさんと交際していたら気持ち悪いと思う。そういうのは自分が自立した後にやってほしいなあ、と。思春期の子供にとって母と女は両立しない。この辺は親世代に配慮が足りなかった。

本作は戦中に青春を送った世代と戦後に青春を迎えた世代の対比がある。戦中世代には自由がなかった。困窮しているから助け合う必要があり、昌代と南原はその縁で知り合った。一方、戦後世代は自由を持て余している。サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」 と言った。生きる目的は自分で見つけなければならないし、人生で直面する重大な出来事も自分で決断しなければならない。戦中世代のように天皇や国家が決めてくれるわけではないのだ。次郎が迷走しているのも自由であるがゆえだろう。感情に任せて突き進むも何か目的があるわけではない。行き場のない若者にとってはお定まりの不良行為に走っている。戦中世代はそんな彼らを遠巻きにして見守っているが、それで何かが解決するわけでもなく、世代間の分断が進むだけだった。世の中には自由の重みに耐えられない人もいるわけで、一概に自由がいいとは言い切れない。本作の不良グループを見ていると、子供を健全に自立させるのは難しいと痛感する。

メインのプロットに悦子(中川姿子)のプロットを絡ませたのが上手かった。妊娠が発覚した悦子は子供を堕ろすために奔走する。彼氏には迷惑をかけたくないから秘密裏に。それが南原を誘惑するところから病院で流産するところまで、メインのプロットを刺激するようになっているのがいい。後者では次郎に暴行されて負傷した南原が同じ場所に担ぎ込まれていて、こういう重ね方はよく出来ていると感心した。

それにしても、ヌーヴェルヴァーグって「大人は判ってくれない」という話になりがちでは。そりゃまあ、親子ほど歳が離れてたら分かり合えないけど。あと、なぜか知らないが主人公が交通事故で死ぬ。判で押したかのように。