海外文学読書録

書評と感想

ルキノ・ヴィスコンティ『揺れる大地』(1948/伊)

揺れる大地 デジタル修復版 (字幕版)

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  • アントニオ・アルチディアコノ
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★★★★

シチリアの漁村アーチ・トレッツァ。ヴァラストロ家の長男ウントーニ(アントニオ・アルチディアコノ)は漁師をしていたが、仲買人に搾取されていると思い込み、年寄りの忠告を無視して独立する。ところが、時化のせいで船が壊れてしまった。おまけに、借金して作ったイワシの塩漬けは安く買い叩かれ、銀行に家屋を差し押さえられる。失業したウントーニは飲んだくれになった。

プロレタリア文学っぽい雰囲気だが、実は挫折した起業家の話である。

冒頭で「人間が他の人間を搾取する物語」と説明される。確かに漁師は自分たちの商品を仲買人に買い叩かれているようだ。でも、本当にそれが不当なのだろうか。経済とは需要と供給で成り立っている。供給過多なら価格が下がるのも仕方がない。需要だって景気の動向に左右されるだろう。仲買人も商売だからなるべく安く仕入れたい。しかし、あまり安くすると別の仲買人に商品が渡ってしまうし、今後の信頼関係にもヒビが入る。実は商品は不当に買い叩かれているのではなく、市場によって決定された適正価格なのではないか。それが証拠に老年世代は文句を言ってない。昔ながらの商習慣だとして若年世代を窘めている。老年世代は長年の経験から仲買人と阿吽の呼吸ができていて、不当の何たるかが分かっているのだ。じゃなかったらこの土地の漁業はとっくの昔に衰退している。

搾取されていると思い込んだウントーニは起業するも失敗してしまう。商売に必要な船は壊れたし、家屋は銀行に差し押さえられた。とはいえ、彼を責めるべきではない。リスクを負ってチャレンジしたのだから立派だ。問題は失敗した後で、就活が上手くいかないウントーニは心が折れ、酒に溺れてしまう。弟は密輸に手を染め、妹は警察署長の愛人になり、祖父は病気で寝たきりになってしまう。ヴァラストロ家は崩壊の危機を迎えた。持たざる者は悲しい。たった一度の失敗で財産を失い、家庭崩壊の憂き目を見るのだから。資本主義の厳しさがここにはある。

漁師も仲買人も個人事業主であり、立場的に両者は対等である。ところが、なぜ搾取構造が生まれるのかというと、一般的な商品(希少性のない商品)の売買においては買い手のほうが有利だからだ。買い手が金を持っているのに対し、売り手はその金が欲しい。買い手が何を買うか選択肢があるのに対し、売り手は何を売るかの選択肢が乏しい。この世で一番強いのは金である。その金を自由に行使できる者が強い。もし漁師が仲買人に不満があるのなら、自分たちで販路を開拓するしかないのだ。しかし、それができないから仲買人がいる。商売とは持ちつ持たれつであり、老年世代にはそれが分かっていたから現状維持を良しとした。本作の悲劇は若年世代に知恵の継承が行われなかったところにある。

自分を助けられるのは自分だけ。他人は助けてくれない。ウントーニが再起するラストは感動的だが、一方で人生とは辛いものだと思う。自分のことは自分で責任を負わなければならないのだから。この世に弱い者の居場所はない。生まれたが最後、生き抜く力が必要とされる。