海外文学読書録

書評と感想

ギュスターヴ・フローベール『三つの物語』(1877)

★★★★

短編集。「素朴なひと」、「聖ジュリアン伝」、「ヘロディアス」の3編。

エバールのおかみさんは、女主人の姿を目にするや、嬉しくてたまらないという様子をことさらに示してみせた。昼食には、牛の腰肉、臓物料理、腸詰、鶏肉のホワイトソース煮込み、泡立つ林檎酒、甘く煮た果物のタルト、プラムのブランデー漬けが振る舞われ、それらの料理のすべてに添えて「ますますお元気そうな」奥さまと、「本当にお綺麗になられた」お嬢さまと、すばらしく「たくましくおなりの」ポール坊ちゃまへの、ありったけのお世辞が振りまかれた。今は亡き「おじいさまとおばあさま」のことを持ちだすのも忘れない。(Kindleの位置No.201-206)

以下、各短編について。

「素朴なひと」

ポン=レヴェック。召使いのフェリシテは、半世紀にわたってオーバン夫人に仕えていた。フェリシテは夫人に忠実で、周囲の人はそれを羨ましがっている。

ウィリアム・トレヴァーに匹敵するくらい美しい短編で驚いた。ひとつひとつの言葉が、さらに落ち着いた佇まいの物語がとても美しい。これはたぶん新訳で読んだからそう感じたのだろう。人間の一生を凝縮させた短編としては稀有のものだった。

とはいえ、そういった美しさのベールを剥がすとフェリシテの人生はだいぶつまらなくて、自分だったらこんな一生を送るのはまっぴらごめんだと思う(だからこそ小説で体験する価値がある)。それもこれも彼女がまともな教育を受けてこなかったせいだ。夫人に忠実なのは一見すると美談に見えるけれど、それはフェリシテが無学だからそうせざるを得なかった。召使いとして自分の全存在を預けないと生存できなかったのである。無学ゆえに安く買い叩かれる。ここに残酷な搾取構造がある。

逆に言えば、愚直に仕えていれば無学でも生き延びられるので、召使いというのはある種の福祉として機能していたのかもしれない。ここら辺は功罪両面あるだろう。

「聖ジュリアン伝」

封建領主の息子として産まれたジュリアンは、ある人物から聖人になるだろうと予言されていた。ジュリアンは幼少期から狩りの本能が抑えられず、殺生に夢中になる。その矢先、自分が追い詰めた大鹿から不吉な予言を受けてしまう。

聖人の条件とは善人であるかどうかではなく、罪を犯した後、社会に対していかにして償うかにあるのだろう。そもそもキリスト教においては全ての人間が原罪を背負っており、一生をかけて贖罪しなければならないのだ。最初からつきまとっている原罪に比べたら、生きているうちに犯した罪の大きさなど問題ではない。過ちを犯してもそこでお終いではないのだ。キリスト教って懐の深い宗教だと感心する。

両親の運命が自分の殺生にかかっているとジュリアンが自覚しているところが面白い。運命とその帰結の因果関係が明示されている。

「ヘロディアス」

カエラスの要塞。四分封領主ヘロデ・アンティパスにはヘロディアスという名家出身の妻がいた。ヘロディアスにはユダヤを支配しようという野心がある。要塞の牢にはヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が捕らえてあり……。

史実を元にしている。

フローベールサロメといった趣だけど、見慣れない固有名詞がたくさん出てきて難解だった。とりあえず、一通り読んだ後に解説を読んで納得。当時の人が読んでも細部が理解しにくい話らしい。僕もアグリッパが出てきたときは、ティベリウス帝の時代に生きてたっけ? と首を捻ったのだった。Googleで検索したら古代ユダヤの統治者アグリッパ1世のことだと分かって「ふーん」という感じである。こういうのホント難しい。

それにしても、堂々たる歴史小説だった。現代人が書いたとしか思えないくらいしっかりしている。