海外文学読書録

書評と感想

マキノ正博『弥次喜多道中記』(1938/日)

★★★★

放蕩に明け暮れる遠山金四郎片岡千恵蔵)は家督相続について父親を悩ませていた。一方、天下の義賊・鼡小僧次郎吉(杉狂児)は偽物の出現によって濡れ衣を着せられている。京に向かった2人は箱根の関所で出会って共に旅をする。峠の茶屋で間違えて弥次(楠木繁夫)と喜多(ディック・ミネ)の傘を持って出た2人は、それぞれ弥次、喜多を名乗ることにした。やがて旅芸人の一座と道連れになり……。

劇中のタイトルは『弥次㐂夛道中記』になっているが、VODでは『弥次喜多道中記』になっている。ソフト化する際に常用漢字に直したのだろう。

全体的に『鴛鴦歌合戦』のほうがゴージャズだが、これはこれで面白い。ひとことで言えば小唄を交えたロードムービーで、金四郎と次郎吉の友情に心が温まる。

武士と泥棒。社会的に対立する2人がよりによって弥次さん・喜多さんに扮して旅をする。この設定が捻っている。旅の前に金四郎と次郎吉は一度顔を合わせているが、前者はひょっとこの面を被り、後者は布で顔を覆っていた。だから互いに正体を知らない。そんな2人は旅を通じて親友になる。そして別れの際、半年後に本名を明かして日本橋で会う約束をする。こういった男の約束も粋である。ただ、私的立場では親友でも、いざ公的立場になると対立するのが両者だ。そのコンフリクトをどう解消するのか。金四郎は家督を継いで南町奉行になった。一方、次郎吉はお尋ね者のままである。対面したらただでは済まない。本作はどうオチをつけるのかでハラハラさせる。

劇伴も小唄も愉快で見ていて楽しい。歌で掛け合いをするのもオペレッタの醍醐味である。トーキーの初期に流行ったのがオペレッタ時代劇というのは驚きだ。現代人は劇映画に慣れているから、進化の方向も劇映画一直線だと思い込んでいた。でも、音が使える、さて何をしようと考えたとき、発想が音楽に行き着くのは自然なのかもしれない。音が使えるならとことん歌わせようじゃないか、みたいな。昔の人も多様な表現に尽力していたわけだ。エンターテイメントはとにかく客を喜ばせなければらない。資本主義がイノベーションを起こす、その一端を垣間見たような気がする。

本作は大立ち回りが複数あるが、一番良かったのは金四郎が天狗の面を被って女を助けるシーンだった。劇伴を流しながらちょこまかと動いていてまるでサイレント喜劇である。前時代の遺風を上手く活かした演出だった。また、次郎吉が日本橋で十手を持った捕吏たちに囲まれるシーンもいい。金四郎が現場に到着するまでの間がスリリングである。親友との約束を守ろうとする必死さがすごかった。

支配者の武士が非支配者の町人と友情を結ぶ。そんなこと現実ではまずなかっただろうが、だからこそフィクションで光り輝くのだろう。殿様がお忍びで町に出る的な面白さがあるし、何より金四郎が町人の世界に溶け込んでいる様子が微笑ましかった。