海外文学読書録

書評と感想

チョ・ナムジュ『サハマンション』(2019)

★★★

南方にある都市国家タウン。そこは企業が運営する独立都市で、住民を階層付けする格差社会だった。ジンギョンとトギョンの姉弟はやむを得ない理由でタウンにやってきて、最低ランクの階層が暮らすサハマンションに転がり込む。サハマンションには様々な人が住んでおり、それぞれ物語があった。

「いいなあ。いいですよね、タウンの住民は」

ジンギョンの言葉にじいさまは苦笑した。

「ここは単なる巨大企業なんだよ。公共という名前の会社がふくれ上がっただけさ。金のない人たちは病院にも行けず、子どもも育てられないが、誰かさんのふところの中には金を生み出す機関がある、というわけだ」(p.52)

サハマンションの住民にスポットを当てた群像劇。みんな社会的弱者でそれぞれ理不尽な目に遭っている。本作にはいくつか可哀想なエピソードが出てくるけれど、現代文学らしい熟れた筆致のせいか、どれも型にはまったようなレディメイド感があっていまいちだった。周知の通り、現代は本が読まれない時代である。なので、文芸ものでも読者を確保するために大衆文学に寄せた作品が多い。本作もその系統で、類型的なエピソードの多さに物足りなさを感じた。

本作のような極端な階層社会はSFでよく見かけるけれど、作中ではSFのガジェットを一切使っておらず、そこが新鮮だったかもしれない。現実社会からの空想的な延長上にこのディストピアは存在する。とはいえ、タウンはあくまで舞台装置に過ぎず、言ってみれば登場人物を理不尽な状況へ追いやるシステムだ。このシステムは新自由主義的な発想で描かれているものの、何か特定のイデオロギーを強く打ち出しているわけでもない。上部構造が秘密にされた得体の知れない支配体制である。登場人物の多くはそういったシステムの底辺で酷い目に遭わされているのだ。勝ち組・負け組はどの社会でも発生するので、本作は極めて普遍性のある物語だと言える。

各エピソードは叙情的かつ印象に残るような終わり方をしていて、その部分に関しては非凡なものがあった。たとえば、スーとトギョンのエピソード。2人はスーの提案で心中することになったけれど、土壇場でトギョンだけ生き残ってしまった。その結果、トギョンは殺人犯として指名手配され、最終的には逮捕・処刑されてしまう。悲しいのは世間が抱く偏見で、2人が恋人だと目されていないことだった。スーは曲がりなりにも市民階級で、最下層のトギョンと恋人同士だったとはこれっぽっちも思われてない。むしろ、トギョンがスーを強姦して殺害したのだと思われている。そんな誤解に晒されるなか、トギョンの心の中にだけ真実が残っている……。この構図はとても美しかった。

最終章ではジンギョンを使って読者にシステムの内幕が明かされる。個人的には、こういった陰謀論的な種明かしが必要だったのか疑問だった。上部構造が大いなる空白であることは予想できたわけで、敢えてはっきりさせる必要もなかったと思う。せめて仄めかすに留めるべきだったのではないか。こういう展開になるくらいだったら、最後まで地に足のついた群像劇のまま終わってほしかった。