海外文学読書録

書評と感想

長谷部安春『女番長 野良猫ロック』(1970/日)

★★★

新宿西口。メイ(梶芽衣子)率いる不良少女グループがトシエ(小磯マリ)率いる不良少女グループと喧嘩していた。後者にバギーに乗った勝也(藤竜也)が加勢してくる。ところが、バイクに乗ったアコ(和田アキ子)がメイに加勢することで形勢逆転。トシエのグループは逃げていった。一方、メイの恋人・道男(和田浩治)は青勇会に取り入るためボクシングの八百長を持ちかけており……。

野良猫ロックシリーズ第1弾。

主演の和田アキ子が格好良かった。女たちと並ぶと頭一つでかいし、藤竜也と比べても貫目で劣っていない。調べたら和田アキ子の身長は174cm、藤竜也の身長は173cmだった。タッパはでかい、喋り方はぶっきら棒、クラブではハスキーボイスで歌を披露する。肌の張りも若さではち切れんばかりである。本作はホリプロが制作に関わったアイドル映画であるが、和田アキ子のスター性が抜群だった。思うにアイドル映画は主演が大根役者なくらいがちょうどいいような気がする。そのほうが新鮮味があるから。和田アキ子は棒読みだからこそ存在感があった。

個人的に50~60年代の映画はレトロ枠で見ているから違和感ないが、70年代に入ると現代と地続きになるためちょっとダサく感じる。これが80~90年代になるとダサすぎて見ていられない。ともあれ、風俗やファッションに現代性が表れてくるのが70年代だろう。クラブでかかる音楽はジャズからロックに切り替わっているし、バイクが不良のアイコンになっているし、女の子はサイケデリックな格好をしている。暴力団右翼団体に擬態しているのもこの時代だ。不良が自由を求めているところは普遍的だが、太陽族ほど健康的ではなく、ナイフを持ち出して傷つけ合っているのだから剣呑である。神話の時代から明確に脱却しているのが70年代であり、我々は現代との類似性を本作から透かし見る。

当時は行政が映画制作に協力的だったのか、新宿で暴走行為やカーチェイスをしているところが印象的だった。特にカーチェイスはすごい。バイクとバギーが地下鉄の階段を降りて地下街を走り抜けるのである。かと思いきや、同じ調子で歩道橋もガタガタ上り下りしている。バイクはともかくバギーであんなことができるとは思わなかった。そして、当時の新宿は再開発中で工事している様子が見える。今よりまだ人口が密集してなさそうだ。だからああいうシーンが撮れたのだろう。今だったら外国ロケで撮りそうなアクションを国内で撮っているところに面白みがある。

暴力描写がなかなかえぐい。不良少女の喧嘩ではナイフで太ももを切り、カミソリで顔を切っているし、その後は監禁した女の体をガスバーナーで焼いている。女子の体をここまで傷つけるなんて現代のフェミニストが見たら憤死するのではなかろうか。嫁入り前の大切な体である。そして、終盤では暴力がエスカレート。右翼団体の男が散弾銃で道男を撃ち殺している。最終的には男女3人が死んだ。当初は牧歌的な不良ものだと思っていたので、この血なまぐさい展開には驚いた。

和田アキ子の次に格好良かったのが梶芽衣子で、彼女は端正な美女という感じだった。范文雀イカしたお姉ちゃんである。一方、男性陣はいまいち振るわない。藤竜也はイキったおじさん、和田浩治は情けない若者だった。総じて女優のパワーがすごい映画である。