海外文学読書録

書評と感想

中平康『学生野郎と娘たち』(1960/日)

★★★★

大衆化して就職予備校になった大学。演出家を目指す山本(長門裕之)、苦学生の晃子(芦川いづみ)、持ち前の指導力で女学生を引っ張るノエミ(中原早苗)など、多彩な顔ぶれが揃っている。バーでバイトする晃子はガリ勉の奥山(伊藤孝雄)と付き合っていたが、ボンボンの靖夫(波多野憲)に目をつけられていた。そんな矢先、4つの博士号を持つ真木(仲谷昇)が新学長に就任。学費の値上げが発表される。

原作は曽野綾子『キャンパス110番』【Amazon】。

この時代から大学が就職予備校になっていたのが驚きだった。学生は勉強がしたいから大学に通っているのではなく、卒業免状が欲しいから通っている。「日本にはくだらない大学が多すぎる」とある人物が言っているが、当時の大学進学率は10%である。まだまだ限られた若者しか進学していなかった。大学進学率が50%を超えたのは2009年である。ここから大学全入時代に突入した。そういう現状を知っていると、当時の大学が大衆化していた事実が意外だ。本当に勉強していなかったのだろうか? 劇中では第三外国語の授業が出てきたし、現在よりもカリキュラムは厳しかったように見える。あるいはカリキュラムに関係なく、昔から大学生は勉強していなかったのかもしれない。ともあれ、当時の大学が現代と同じ就職予備校だった事実に驚いた。

大学生は金に困っている。学長は授業を充実させるために学費を4割値上げすると宣言したが、学生に反対運動を起こされた。大衆化とはこういうことなのだろう。昔は実家の太いエリートしか大学に進学しなかった。だから高い学費も余裕で払えた。ところが、戦後の大学生は中流家庭出身である。バイトをしないと学費も生活費も賄えない。しかし、学長はそんなこと意に介さななかった。どうやら知恵の実を享受するには相応の資格がいると考えているようだ。それが証拠にこの学長、奥山の卒業論文を評価して彼に東大の大学院に進学するようアドバイスするのだが、奥山は金がないと言って断った。何か便宜を図るのかと思いきや、何も援助せず話を打ち切っている。経済的な苦境に理解を示さず、また理解するそぶりも見せず、煌めく才能を見捨てているのだ。この態度から察するに、学長は実家が太くて金に苦労したことがないのだろう。だから博士号を4つも取れた。現代でも大学院に進学するのは裕福な家庭の子弟が多い。才能があっても貧乏な人間は研究の道を諦めるしかないわけで、本末転倒な社会構造になっている。

大学生は自由だが、それは見せかけだけの自由で、本当の自由は金がないと手に入らない。現代の大学生はバイトに明け暮れて時間を無駄にしている。勉強する時間も遊ぶ時間も十分に確保できない。学生の本分は勉強なのだから、本来だったら大半の時間を勉強に注ぎ込むべきだが、学費や生活費がかかるからバイトするしかない。就職する前から資本主義社会の安価な労働力に組み込まれている。こういう生活を送っていると、大学を就職予備校として割り切るのも無理はないだろう。どうせ勉強してもその道で大成することはないのだから。少ない労力で卒業免状だけ貰って有利な条件で就職したい。それもこれも企業が無駄に大卒を求めているからで、そういうのはもうやめたほうがいいと思う。

本作は日本社会の構造的欠陥を炙り出した映画でなかなか面白い。日本人の生産性が低いのは我々が怠惰なのではなく、システムの問題であることが分かる。