海外文学読書録

書評と感想

呉明益『雨の島』(2019)

★★★★

短編集。「闇夜、黒い大地と黒い山」、「人はいかにして言語を学ぶか」、「アイスシールドの森」、「雲は高度二千メートルに」、「とこしえに受胎する女性」、「サシバベンガル虎および七人の少年少女」の6編。

雨の多い島にはもう雨が降らず、畑も死にかけている。村の入口でぽっちゃりした少女が作る、最高のミックスジュース屋も店をたたんだ。果物が収穫できないからだ。草取りができた頃が懐かしい。すき取った草を畑に敷いて、上を歩けばふかふかだった。(p.5)

以下、各短編について。

「闇夜、黒い大地と黒い山」。ソフィーとジェイはマイヤー夫妻の養子として育てられるも、ソフィーが高校生のときに父親を亡くす。ソフィーは大学に進学してミミズの研究者に。やがて巡礼の旅に出る。個人的にキリスト教いけ好かない宗教だけど、その博愛精神は見習いたいところがある。古来から自然と信仰は深い関わりがあって、マイヤー氏が信仰に目覚めたのも自然に打ちのめされつつ2度も生還したからだ。そこに奇跡を感じているというわけ。思うに、原始時代の人もこんな感じで信仰心を抱いていたのだろう。テクノロジーは進歩しても人間の本能はあまり変わらない。

「人はいかにして言語を学ぶか」。狄子(デイーズ)は幼い頃から音に関して非凡な記憶力を発揮し、大学では鳥類行動学を専攻することになった。そこで頭角を現した彼は将来を嘱望されるも、病気によって聴力の大半を失ってしまう。聴力の損失が母親の死と近接しているところが面白い。狄子にとって母親は自分の才能を認めてくれた大切な存在だから、その喪失は自身の才能の喪失と等価である。そしてその後、狄子は手話を覚えるのだけど、それによって無口だった彼が意思の疎通をできるようになるのは不幸中の幸いだった。音声言語から身体言語へ。躓いても人生は続く。

「アイスシールドの森」。敏敏(ミンミン)は南極の小屋で救助を待っていた。同僚はアイスシールドで死んだかもしれない。一方、小鉄(シアオテイエ)と阿賢(アシエン)は高山で樹木の調査をしており、敏敏はそこで記録員をしていた。おいおい、そういう話だったのかよ! という捻った構造の短編だった。絶望して「死」しか選択肢がない状況に対し、死に瀕しているからこそ希望があって手探りで道を進んでいく。こちら側とあちら側の二重性、その重なり具合が良かった。

「雲は高度二千メートルに」。阿豹(アバオ)は大学院をやめてエコセンターに就職する。ある日、職場の敷地内でウンピョウの毛皮が見つかった。ウンピョウは台湾で絶滅したと思われていたが……。ウンピョウとはこの世から失われた存在で、関(クアン)にとっては亡き妻の象徴になる。関はウンピョウを求めて山に入るも、結局は雲の層に妻の面影を見たに過ぎない。そして、帰ってからは妻の仕事を引き継ぐことになる。一連の物語はグリーフワークを描いているのだろう。一人の男が妻の死を引き受け前に進む。ここまで来るのに10年かかったことを考えると、しみじみとしたいい話だと思う。

「とこしえに受胎する女性」。小食(シアオシー)たちがクロマグロの調査のため太平洋に出る。捕獲したマグロはアンドロイドだった。このアンドロイドは言ってみれば養殖マグロのパワーアップ版だけど、テクノロジーのグロテスクな面が垣間見える。小食の母親が核廃棄物処理場で事故死していることからして、行き過ぎたテクノロジーが不自然であることを匂わせているのだろう(台湾から天然海岸がほとんど失われているという記述もそう)。人間はどこまで自然をコントロールしていいのかという問題がある。

サシバベンガル虎および七人の少年少女」。「僕」の叔父さんは高校生の頃、学校をさぼって仲間たちと市場にある地下室に行く。そこには鷹やオランウータン、ベンガル虎といった様々な野生動物がいた。その後、金を儲けた叔父さんは市場で鷹を買って「僕」のところに連れてくる。市場で野生動物が売られてるのっていかにも中国文化圏という感じで面白い。確か新型コロナウイルス(COVID‑19)が発生した武漢でもそういう市場があったと記憶している。おそらくは古くから続く文化なのだろう。本作から漂うノスタルジックな空気がたまらない。