海外文学読書録

書評と感想

寺山修司『書を捨てよ町へ出よう』(1971/日)

★★

21歳の北村英明(佐々木英明)は都内の貧乏長屋で家族3人と暮らしている。祖母(田中筆子)は万引き常習犯、父親(斎藤正治)は無職、妹(小林由起子)はウサギを偏愛する人間嫌いだった。英明は予備校通いをやめて大学のサッカー部に入り、そこの主将(昭和精吾)と懇意になる。主将は面倒見がよく、英明が童貞を捨てるのを手伝ってくれるが……。

洗練とは程遠い泥臭い実験映画。これに比べると『田園に死す』は完成度の高い映画だった。今からでも評価を上げるべきかもしれない。それと、『新世紀エヴァンゲリオン』【Amazon】と『少女革命ウテナ』【Amazon】が寺山修司の影響下にあることを確認できた。

若者には内なる衝動があって、機会があったらそれを爆発させたい。そのことがビンビン伝わってくる。英明が見る人力飛行機の夢は「自由になりたい」という欲求の表れだけど、終盤でその飛行機が燃えてしまう。だから叫ぶしかない。内なる衝動を外に吐き出すしかない。そして、終わった後は第四の壁を超えて観客に語りかける。映画なんて所詮は嘘っぱちなんだ、と。彼は観客に行動するようアジテーションしているのだ。公開当時に本作を観ていたのはたぶん若者だから、彼らには相当突き刺さったのだろう。コラージュ的な映像表現もあいまって、観客が衝撃を受けたのは想像に難くない。本作にはそれだけの熱量が感じられる。ただ、僕はもう若くないので、こういう荒っぽい映画には胃もたれしてしまうのだった。

この時代の男にとって重要なのは、童貞を捨てることと父親を殺すことらしい。そうすることで一人前になれるという認識があるようだ。童貞はともかくとして、この時代の青春映画はだいたい父殺しを扱っている。

当時の父親は従軍経験があり、戦争でたくさんの人を殺してきた。そういう人たちが何食わぬ顔で社会に溶け込んでいる。『青春の殺人者』もそうだったけれど、子供の敵が元兵隊なのが複雑なところで、兵隊とは国から強制召集された被害者なわけだ。若い頃は国家から抑圧され、中年になって子供を育てたら今度は下から突き上げを食らう。子供にとって父親は乗り越えるべき存在とはいえ、父親の立場からしたらえらい理不尽だと思う。

本作によると、書物とは家族や地縁的結合から人間を解放し、考え方の違う人を同志的結合に導くものらしい。それはそれで尊いのだけど、やはり行動することが大事で、書物とはそのための燃料なのだ。だから書を捨てて町に出るべきなのである。出演者が第四の壁を超えて観客に語りかける演出は、今見ても新奇性がある。