★★★★
ソラン、ダユン、ヘイン、ウンジは中学校の映画部で仲良くなり、いつも一緒にいるようになった。彼女たちは進学を巡ってそれぞれ事情を抱えている。そんな矢先、済州島へ旅行することに。4人はみな学力が違うものの、一緒の高校へ進学することを誓う。目指すは平凡な一般高校だった。
「今ミカン農園を通り過ぎたよ。なんで私たち、それを思いつかなかったんだろう? 済州島といえばミカンなのに」
「そうだね。ミカン狩り、面白いのに」
「やったことあるの? 私は一度もない。さつまいも、ジャガイモ、落花生は採ったことあるけど。そういえば土から掘り出すものばっかりだわ」(p.172)
高校進学を巡る青春小説。終わってみれば硬直した社会制度へのアンチテーゼになっていて感動した。
韓国は日本以上の学歴社会で、みんな小さい頃から塾に通って勉強している。人の価値が学校の成績によって決められていて、子供の頃から窮屈な社会規範に縛られている。親も子供をいい学校にやろうと必死だ。教育のためなら引っ越しも厭わないし、場合によっては偽装転入にまで手を染めている。彼らにとっては高い学歴を得ることこそが正義なのだ。こんなんじゃあ、親も子供も疲弊するだろうと心配になるけれど、しかし、日本を含む東アジアは大なり小なりこんな感じである*1。とりわけ中国と韓国は突出していて、学歴社会の最先端をひた走っている。
仲良し4人組が学力の違いを超えて同じ高校に、それも低レベルな一般高校に進学するのは日本人から見ても異常だ。友情のために将来を棒に振っているのではないか。自他の境界が曖昧になっているのではないか。日本でもこういうケースは滅多にないから、序盤で示される彼女たちの決断にはつい反発してしまう。ところが、最後まで読むとそういった偏見が覆されてしまうのだから不思議だ。規範から一時的に降りることが彼女たちにとって最善の選択で、これこそが多様性への道を開くかすかな希望なのだ。スーパーで買うミカンは、まだ青いときにもいで流通過程で一人で熟す。それに対して天然のミカンは、木と日光から最後まで栄養をもらって熟す。別にどちらの道を選んでもいい。子供の頃の成績で将来が決まってしまう社会こそが異常で、選択肢を増やすことの大切さを思い知らされる。
途中でミステリ小説的な謎と辻褄合わせがあり、事の真相には驚きと感動がある。つまり、みんなが積極的に動いて目標を達成しているわけで、彼女たちの選択がより尊いものに思える。規範に縛られず主体的に動くこと。そういう意識が社会に浸透すれば少しは生きやすくなるのだろう。本作はその道を示した希望の書である。
*1:欧米では子供を学習塾に通わせる習慣がないらしい。学校教育だけで十分だとか。