海外文学読書録

書評と感想

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』(2018/米)

★★★

大学生のアンソニー・サドラー、アメリカ空軍二等軍曹のスペンサー・ストーン、オレゴン州軍特技兵のアレク・スカラトスの3人は幼馴染。2015年8月21日、そんな彼らが欧州旅行で高速鉄道タリスに乗る。列車にはイスラム過激派のテロリスト(レイ・コラサーニ)も乗車してきて……。

タリス銃乱射事件を題材にしている。また、主演の3人はそれぞれ本人が演じている。

いかにも西側世界の話という感じだった。日本も日米同盟があるから西側のはずだが、本作を見ると蚊帳の外にいるような錯覚を覚える。これはテロリスト=悪という常識を共有していないからだし、また、欧州でアジア人は歓迎されてないという人種差別的な理由もある。そんな日本もイスラエルハマスの戦争では前者を支持しなければならないのだからつらい。実際、2023年10月27日の国連総会では、ガザ「人道休戦」の決議採択を棄権していた(アメリカとイスラエルは反対した)*1。日本なんて何かあったらハマス側に転落する可能性が高いというのに。しがらみに付き合わされる者の悲しみが胸に迫ってくる。そういうわけで、実在の事件が題材だからこそ能天気な英雄譚には乗れないのだった。

クライマックスは3人がテロリストを制圧するシーンだが、そこまでの経緯はこのシーンから逆算して作られていた。スペンサーが軍隊で柔術を練習するエピソードはテロリストを柔術で抑え込むシーンに生きているし、また、彼が救助訓練するエピソードも負傷者に応急処置するシーンに生きている。さらに、基地で銃撃の誤報があった際の無謀な立ち回りも、彼が銃を構えたテロリストに突進していくシーンに生きていた。スペンサーが突っ込んだおかげで惨劇は免れたわけだが、そこには運の良さが多分にあって、テロリストの銃が不発だったから成功したのである。テロリストはAK-47を構えてスペンサーに狙いをつけていた。ところが、引き金を引いても弾が出なかった。スペンサーの突進は勇気というよりは無謀である。明らかにタイミングがおかしかった。それを幸運でカバーしたところに運命的な導きがある。

人生は運命に導かれている。アメリカ人の3人がヨーロッパに旅行に来たのも。パリに向かう列車に乗ったのも。銃を持ったテロリストと遭遇したのも。見えない手による導きというのがあって、そのおかげで惨劇を免れた。子供時代の3人が揃ってキリスト教系の学校にいたのも偶然ではない。種は既に蒔かれていた。はっきりと明示しているわけではないが、事件から逆算した構成には神の存在を示唆する眼差しがある。

子供時代に3人がサバゲーをしている。その際、スペンサーが「戦争には何かがある/仲間との絆 歴史/戦場での助け合い」と言っている。つまり、軍隊にロマンチシズムを抱いているのだ。そりゃ世界最強のアメリカ軍に対してならそういう幻想を抱いても無理はない。最新最強の兵器で身を固めて中東に乗り込む。相手は母国を攻撃してきたイスラムのテロリストだ。愛国心も高揚するはずである。現代人はもうベトナム戦争を忘れていた。殺しても殺しても終わらない戦争の泥沼。テロとの戦いでもPTSDによる自殺者が続出しているわけで、その能天気さにクラクラする。