海外文学読書録

書評と感想

ハワード・ホークス『ヒズ・ガール・フライデー』(1940/米)

★★★★

モーニングポスト紙の編集長ウォルター(ケーリー・グラント)のところに、前妻にして元記者のヒルディ(ロザリンド・ラッセル)がやってくる。彼女は保険屋のブルース(ラルフ・ベラミー)との再婚を報告してきた。ところが、ウォルターは策を弄してヒルディに記事を書かせようとする。それは警官殺しの被疑者ウィリアムス(ジョン・カーレン)へのインタビュー記事で……。

個人的にスクリューボール・コメディとはいまいち相性が悪いのだけど、本作は例外的に好みと合致した。同じ監督だったら、『赤ちゃん教育』よりこちらのほうが断然好きかもしれない。

ウォルターとヒルディがマシンガントークを繰り広げるところが圧倒的で、特に序盤は観客を引き込むのに十分な導入部だった。この2人が揃うシーンはだいたい騒がしくて、話の筋を見失わないようこちらも必死に画面を見ている。僕は洋画に関しては字幕派だけど、この映画に関しては吹き替えで観たほうが確実に楽だった。どのシーンもだいたい似たような部屋を舞台にしていて、とにかく会話で見せるんだという意気込みを感じる。マシンガントークを主体としながらも、人物を入れ替えていくことで話を進展させていく手並みが鮮やかだった。

新聞社はスクープのためだったら殺人以外何でもする。一方、市長は選挙のためだったら殺人も含めて何でもする。両者が対極的な存在になることで、新聞社が相対的に正義の側に収まるところが面白い。結局のところ、第四の権力とは私益の追求がしばしば公益の追求と重なるわけで、たとえマスコミの良心が信じられなくても、物事が上手く動けば正義を遂行することが可能なのだ。最近観た『スポットライト 世紀のスクープ』も私益と公益の幸福な結婚で、スクープを追い求めることで教会の悪事を暴いていた。はっきり言って僕はマスコミが嫌いだけど、しかしたまに歯車が噛み合って善行を成すこともあるので、なかなかどうして油断ならない。「必要悪」という言葉がしっくり来る。

本作が制作された当時はヨーロッパで戦争をしていた。アメリカはまだ参戦していない。劇中ではウォルターが「ヒトラーはコメディ欄だ」と言い放っている。今観ると、こういった時代認識が興味深い。彼らにとっては海の向こうの戦争よりも、地元で横行している政治の腐敗のほうが重要なのだ。翌年からアメリカも戦争当事者になってプロパガンダ映画が作られていくのだけど、この時のアメリカ人はそんなこと想像していなかっただろう。本作は幸福な時代の幸福な映画だと思う。