海外文学読書録

書評と感想

ヴィンセント・ミネリ『巴里のアメリカ人』(1951/米)

★★★★

パリ。アメリカ人のジェリー(ジーン・ケリー)は画家として生計を立てようと貧乏暮らしをしていた。彼にはアダム(オスカー・レヴァント)というピアニストの友人がおり、また、アダムにはアンリ(ジョルジュ・ゲタリ)という有名な歌手の知り合いがいる。あるとき、ジェリーは金持ちのミロ(ニーナ・フォッシュ)から援助の申し出を受けることに。さらに、ジェリーは酒場で見かけたリズ(レスリー・キャロン)に一目惚れする。

ストーリーはどうってことないのだけど、やはりミュージカルシーンがいい。ダンサーのジーン・ケリー、ピアニストのオスカー・レヴァント、歌手のジョルジュ・ゲタリ。3人それぞれに見せ場がある。一方、ヒロインのレスリー・キャロンはあまり印象に残ってない。どちらかというと、ミュージカルシーンのないニーナ・フォッシュのほうが目立っていた。

この頃はまだ「戦後」の雰囲気が色濃くて、登場人物は何らかの形で戦争に関わっている。主人公のジェリーも復員兵で、退役後にそのままパリに残っていたのだった。彼は地元の子供たちに人気があるのだけど、それはGIよろしくガムを配っているからである。ナチス・ドイツに占領されていたパリジャンにとって、アメリカ人は解放者のイメージがあるのだろう。戦前のアメリカ人は、バブル期の日本人や今世紀の中国人のように、迷惑な旅行者という扱いだった。ヨーロッパ人にとってはマナーのなってない田舎者だった。それが戦後を潮目に一変したような気がする。

ミロみたいに野生の芸術家をプロデュースするのって、いかにも金持ちの道楽といった風情で既視感がある。これが大規模になるとアイドルのプロデューサーになり、小規模になると配信者のプロデューサーになるのだろう。僕はその両方を間近で見てきた。どちらも中小企業の経営者だったりその親族だったりが道楽でやっている。人間にとって最大の娯楽はパトロネージュであり、だからこそ「推し」の文化がここまで広がっているのだ。頑張っている人を応援したい。金銭的に支援してあげたい。この精神がこれからも広がっていけばいいと思う。

最大の見所はラスト18分だ。ジェリーがミュージカル的幻想世界に入り込み、大勢の人たちと書き割りを背景にダンスする。このシーンは、舞台劇の成果を映画に持ち込んだような感じで実に素晴らしい。ミュージカルシーンとは心象風景の立体化であり、リアリズムの世界をどうやって飛び越えるかの映像的実践である。この18分は、当時としては最良の飛躍を見せてくれた。こういうのがあるからミュージカル映画を観るのがやめられない。