海外文学読書録

書評と感想

セシル・B・デミル『平原児』(1936/米)

平原児(字幕版)

平原児(字幕版)

  • ゲイリー・クーパー
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★★★

1865年、リンカーン大統領暗殺。武器商人(チャールズ・ビックフォード)はインディアンに最新式の銃を密売していた。そんななか、ワイルド・ビル・ヒコック(ゲイリー・クーパー)とバッファロー・ビル・コディー(ジェームズ・エリソン)が再会する。さらに、ワイルド・ビルは自分を慕うカラミティ・ジェーン(ジーン・アーサー)とも再会するのだった。その後、3人は騎兵隊とインディアンの戦争に巻き込まれていく。

主要人物はみな実在の人物らしい。それぞれWikipediaにページがある。

西部劇を観て不思議に思っていたのが、インディアンが大量の銃で武装していることだったけれど、これは南北戦争終結して武器商人の商売があがったりになったのが原因らしい。当時弓矢で狩りをしていたインディアンに銃を密売するようになったようだ。少なくとも本作ではそういうことになっている。また、復員兵の就職先を確保するために、政府が西部開拓を促進させたという。アメリカ史にはいまいち疎いので勉強になった。

本作は予想以上にスペクタクルな映画だったと思う。騎兵隊とインディアンの銃撃シーンではけっこうな数の人馬をつぎ込んでいて、なかなか見応えがあった。戦闘中に何人かのインディアンが撃たれて落馬するのだけど、これを演じたスタントマンは命懸けだっただろう。下手したら後続の馬に頭を踏まれて死にかねない。この時代はCGで誤魔化せないから、純粋にハラハラドキドキした。たとえるなら、サーカスの超絶技巧を見ているような気分である。

史実のカラミティ・ジェーンは相当な傑物だったらしい。けれども、本作ではあくまでワイルド・ビルに懸想するヒロインというポジションに納まっている。ムチは振り回すのに銃は一発も撃たない。劇中ではそこらの男より銃の腕前が上だと語られているので、そういうシーンがないのは時代の制約なのだろう。男勝りの傑物でも恋愛の駒として使われる。そこは現代人からすると物足りない。

インディアンがワイルド・ビルを木に吊り下げて焼き殺そうとするシーン。個人的にはすごくエキゾチックで興奮したけれど、今だったら絶対NGだと思う。というか、そもそも現代の映画でインディアンって描けるのだろうか? 民族衣装に身を包み、雄叫びをあげながら駆け回る。当然、彼らは白人の敵だ。おそらくそういう存在として描くのは無理だろう。だから古典映画の存在は貴重なのである。

終盤、ワイルド・ビルが二丁拳銃でならず者たちをバンバン始末していったのは爽快だった。『抜き射ち二挺拳銃』に必要だったのはこういうアクションではなかったか?