★★★
メキシコ。住民わずか千人の村イバーラに、北アメリカから中年の夫婦が移住してくる。名前はリチャードとサラ。リチャードは祖父が手放した銅山を再興し、現地人を雇って採掘事業をする。その一方、リチャードは血液の病気で余命6年と宣告されていた。
あの日ハビエル神父が祈っていたのはキリスト教徒のためか、それとも異教徒のためか、神を冒瀆する者のためかそれとも聖者のためかは誰にもわからなかった。神父があの時、いや、あれ以前にも、自分たちの目的のために、何千マイルもの距離を突き進む、神の存在を知らぬ人間のために祈ったかどうかは知る由もない。(p.84)
現地の人たちをピックアップしたエピソード集。訳者あとがきによると、複数の短編をつなぎ合わせて構成したらしい。同じラテンアメリカということで、『エバ・ルーナのお話』を連想したけれど、あそこまで神がかったストーリーテリングがなくて物足りなかった。静かな叙情は感じられるものの、どれもインパクトに欠ける。これはおそらく読んだ順番のせいだろう。先に本作を読んでいたらもっと高く評価していたと思う。つまり、それだけイサベル・アジェンデがすごすぎた。
リチャードとサラは外部から来た人間のため、当然のことながら現地の人たちとはギャップがある。宗教だったり習俗だったりが決定的に違う。その違いが本作の面白ポイントだと言えよう。イバーラの住民は敬虔なカトリック教徒だったり、20世紀なのに呪い師を信じていたりしていて、前時代的な生活ぶりが微笑ましくなる。といっても、これはあくまで僕が文明国の人間だからそう思うわけで、発展途上国の人が読んだらまた違った感想になるだろう。自分の置かれた環境によって、異国情緒を感じるポイントが違う。本作を読んで読書の多様性を実感した。
以下、印象に残ったエピソード。
第五章「遺産」は、フワンという若者が、祖父の遺言で障害者の従兄弟と暮らす話。クライマックスにおけるぎりぎりの判断には、生きていくうえでの峻厳な態度が感じられる。これで重荷から解放されたみたいな。昨今の介護殺人に通じるものがありそう。
第七章「赤いタクシー」は、チュイという男が親友2人を誘ってタクシー業を始めようとする話。事業を起こすにはまず車がいる。車を買うには頭金が足りない。どうやってそれを稼ぐのかと思ったら、皮肉な展開で手に入った。これは何とも言えない後味である。
第十章「九月十五日の夜」は、バシリオ・ガルシアが10歳下の弟ドミンゴを殺す話。弟が大学に進学できるよう学費を稼いだのに、まさかあんなことになるとは。男の人生を狂わすのはやはり女ということだろうか。そして、生き残ったバシリオは、この先も長い人生が待っているのだった。この章はラストが味わい深い。
第十六章「月の医者」は、リチャードの容態が悪化したので、名医と噂の「月の医者」を呼ぶ話。その医者は1年経っても松葉杖が取れなかった患者を、もう一度足を折ってつなぎ直すことで完治させたのだった。これは神医に違いないと思いきや、あっと驚くユーモラスなオチがついてくる。メキシコならこういう医者がいても不思議ではないと思っていたので、見事にしてやられた。