海外文学読書録

書評と感想

セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984/米)

★★★

警察に仲間を売ったことで追われる身になったヌードルスロバート・デ・ニーロ)は、根城にしていたニューヨークを離れた。35年後、彼に謎の招待状が届く。好奇心に駆られたヌードルスは再びニューヨークの地を踏むことに。一方、それに連動して彼の少年時代が回想される。1920年。不良少年だったヌードルスは仲間たちと犯罪行為をしていた。そのなかには後にキーパーソンとなるマックスもいて……。

セルジオ・レオーネの遺作。上映時間が3時間50分もある大作で、最後まで付き合った自分を褒めたくなった。

ギャングを扱っているわりにはギャング映画っぽくなくて、どちらかと言ったら、少年時代から続く友情とその終焉、青年時代における愛とその終焉、そういう人間関係の移ろいを描いている。だから、本作は時間というのが重要なファクターになっていて、少年時代・青年時代・老年時代を自在に行き来している。確かにこれだけスケールが大きかったら、4時間も尺をとるのは仕方がないのかもしれない。本作はユダヤ系ギャングを題材にしているのが珍しくて、ゲットーの風景から彼らの文化が透けて見えるのが良かった。いつものイタリア系とは一味違う。

前述の通り、本作は3つの時間軸が交錯するけれども、一番面白かったのが少年時代だった。みんな顔つきも背格好も幼くて、犯罪に手を染めているわりには、そこらによくいるクソガキって感じの親しみやすさがある。日本の不良少年は見た目からしてイキってるけど、この少年たちはいたって普通だ。でも、やってることはさすがゲットーの住人という感じで、日本のヤンキーよりも遥かに上を行っている。何だかんだ言って、日本のガキは社会に守られているからね。取り柄といったらせいぜい改造バイクをぶんぶん吹かすくらいで、生き馬の目を抜く世界を経験していない。それに対してこの少年たちは、大人の依頼で金品を盗んだり、敵対する警官を罠にはめたり、半グレみたいなことをしている。こういう文化の違いが、ぬるま湯に浸かっている僕には刺激的だった。

少年時代のヌードルスが、仲間を射殺したバグジーをナイフでめった刺しにする場面が鮮烈で、個人的にはここが本作のハイライトかもしれない。こんなあどけないのに殺しなんてするんだ? と驚いたし、遂に一線を越えてしまったのかという悲しみがある。

一方、青年時代になってみんながギャングっぽい仕事をしているのには違和感があった。少年時代は小遣い稼ぎに過ぎなかったものが、いつしか犯罪行為で飯を食うようになっている。あの無邪気な姿を知っているだけに、たとえばトンプソン機関銃で人殺しをする場面はしっくりこなかった。この辺はみんなの成長(?)に自分の認識がついていけなかったかもしれない。観ているうちに段々慣れていったけれど、最初はかなり違和感があった。

ところで、本作はユダヤ系ギャングの話なのに、なぜ主役にロバート・デ・ニーロがキャスティングされたのだろう? 彼は見るからにイタリア系で、ユダヤ人らしさが微塵もない。頭の片隅に『ゴッドファーザー PART II』がちらついて仕方がなかった。