海外文学読書録

書評と感想

ディミトリス・ポサンジス編『ギリシャ・ミステリ傑作選 無益な殺人未遂への想像上の反響』

★★★

アンソロジーアンドレアス・アポストリディス「町を覆う恐怖と罪――セルヴェサキス事件――」、ネオクリス・ガラノプロス「ギリシャ・ミステリ文学の将来」、ティティナ・ダネリ「最後のボタン」、ヴァシリス・ダネリス「バン、バン!」、サノス・ドラグミス「死せる時」、アシナ・カクリ「善良な人間」、コスタス・Th・カルフォプロス「さよなら、スーラ。または美しき始まりは殺しで終わる」、イエロニモス・リカリス「無益な殺人未遂への想像上の反響」、ペトロス・マルカリス「三人の騎士」、テフクロス・ミハイリディス「双子素数」、コスタス・ムズラキス「冷蔵庫」、ヒルダ・パパディミトリウ「《ボス》の警護」、マルレナ・ポリトプル「死への願い」、ヤニス・ランゴス「死ぬまで愛す――ある愛の物語の一コマ――」、フィリポス・フィリプ「ゲーテ・インスティトゥートの死」の15編。

「ミステリ小説、読むの?」すぐに話題を変えてきた。

おれはためらいがちに「いいや」

「残念ね」と言う。「すごいわよ、ミステリって。恋とか強盗とか出てくる。痴情の殺人や裏切り、果てしない旅。ハードな男たちに運命の女たち。それにお金。とんでもない額よ。なんでもお金が動かしてるの。いいことも悪いことも。映画みたいね。映画は見る? いつかいっしょに行こうか?」(p.151)

以下、各短編について。

アンドレアス・アポストリディス「町を覆う恐怖と罪――セルヴェサキス事件――」。ギリシャ国家情報局の「わたし」が翻訳家に接近する。翻訳家は旧ユーゴで活動をしていた。翻訳家は夢の記録をつけており、「わたし」はそれをこっそり入手する。翻訳家はセルヴェサキスのせいで殺されたが理由は分からない。確かに謎があるという意味ではミステリだが、全貌が分からなくて困惑する。電子書籍なので単語で検索をかけたが、翻訳家とセルヴェサキスの接点が語られるのは2回しかなかった。セルヴェサキスはインターポールの担当だからけっこう偉いようである。旧ユーゴでの過去を抹消したかったのだろうか。よく分からない。

ネオクリス・ガラノプロス「ギリシャ・ミステリ文学の将来」。年若いミステリ作家がギリシャ・ミステリ文学を代表する作家の元を訪れる。作品を読んでもらって講評してもらう。「これは文学じゃないね。ただただ読者が解決を探すために作られたパズルだな」とか、「《ミステリ文学》はだね、別の目標がある。読者の生きている社会の闇の側面に光を当てることなのだ」とか、パズラー批判が展開されていて面白かった。ミステリは純化されればされるほどパズルやクイズに近づいていく。文学の体裁を取る意味がなくなっていく。これはこれでまっとうな意見だが、本作はそこから一捻りあるから侮れない。

ティティナ・ダネリ「最後のボタン」。1965年。警部補が殺人事件の捜査に着手する。ところが、上司からストップがかかるのだった。上司は事故扱いで終わらせようとしている。当時の警察は事件を隠蔽するのが当たり前だったらしい。関係者が国の有力者と繫がっていると尚更。警部補はそれに反抗して真相に向かうのだが、どうにも浮いた感じがしてまるで現代からタイムスリップしたかのようである。ともあれ、犯人を処刑した男が最後に自殺するのはミステリの文法に則っている(文中では曖昧にされているが、僕は自殺と解釈した)。ミステリは秩序の回復を指向するから。法で裁けない人間にはこうやって落とし前をつけさせる。

ヴァシリス・ダネリス「バン、バン!」。「わたし」は幼い頃に「彼」に好意を抱いていた。兵隊ごっこのときは手心をくわえたくらいである。ところが、「彼」が転校して離ればなれに。そして24歳のとき、仮面パーティーで「彼」と再会する。「バン、バン」の使い方が上手かった。ナンシー・シナトラの曲、兵隊ごっこ、そしてラスト。みんな「バン、バン」で繫がっている。兵隊ごっこのときは撃たなかったのに、ラストでは撃ったというわけ。それにしても、「わたし」は大人になっても幼馴染のことを想っているのだからすごすぎる。ほとんど漫画の世界だ。

サノス・ドラグミス「死せる時」。アテネでは警官隊とデモ隊が衝突している。探偵の「わたし」はそんななか仕事をこなしている。最初は性別、次は嗜癖と二つの秘密を明かしていく構成が面白かった。それにしても、本作は現代を舞台にしているのだが、今の時代に左派のデモがあるとは驚きである。しかも、警官隊との衝突で死者まで出ている。ソ連が崩壊してしばらく経つのにまだこんなことをやっているとは。そして、参加者の一人が資本家の娘であるところにリアリティを感じる。

アシナ・カクリ「善良な人間」。山火事。猛暑。電力不足。近所では別荘の群れが我が物顔で山頂に向かって建設されていく。善良な人間ディモスは妻が死んで以来、猟で鳥も殺せなくなったが……。猛暑だったらこんな風に気が狂っていくのも納得できる。力への意志と正義感。本人は善かれと思ってやっているところが恐ろしい。共同経営者のペトロスに対して下手に出ているところもまた不気味だ。

コスタス・Th・カルフォプロス「さよなら、スーラ。または美しき始まりは殺しで終わる」。1960年代。「おれ」がスーラと出会う。後日、彼女はいことのタキスを連れてくる。タキスはタクシーメーターを弄って儲ける仕事を持ちかけてくる。一方、「おれ」はスーラを好きになり……。これは一種の色恋営業だろう。失敗すると恨みを買って殺されるのだからリスキーだ。ただ、僕は殺人者のほうに同情してしまう。人の感情を弄ぶのは万死に値すると思うから。

イエロニモス・リカリス「無益な殺人未遂への想像上の反響」。文学ネタが散りばめられているが、プロパーなミステリ読者にはほとんど分からないと思う。料理の名前にいちいち実在する作家の名前がつけられているのだ。そして、ただの衒学趣味かと思いきや、毒殺未遂にまで発展するのだから皮肉である。作家の名前をふんだんに投入するところにカーニバル性のようなものが感じられる。

ペトロス・マルカリス「三人の騎士」。プラトンは物乞い、ソクラテスペリクレスはゴミ漁りで生計を立てている。ある日、ゴミ漁りの2人がオリンピック施設跡に宝の山があると知らされる。そこに行った彼らは死体で発見されるのだった。オリンピックの栄光と挫折、あるいはギリシャの栄光と挫折と言うべきか。そもそもオリンピック以前にギリシャは古代に栄えていたわけである。それが今ではあの体たらくなのだから情けない。ところで、ギリシャにはアフリカやアジアからの移民が多いらしい。腐ってもEUだと思った。

テフクロス・ミハイリディス「双子素数」。メーシはギリシャが生んだ最高のサッカー選手。その彼が焼死体で発見される。死体には拷問の跡があった。一方、メーシには双子の兄ソマスがいる。ソマスは幼い頃から数学の天才だった。やはりサッカーには八百長はつきものなのか。そして、マスコミによって真実が虚構にすり替わるところも皮肉だ。何せ殺されたのは名士だから。そして、数学を挫折したソマスが弟のために復讐する。この展開が胸熱だ。

コスタス・ムズラキス「冷蔵庫」。猟師ヤノスの伯父が殺された。伯父は83歳。警察の見立てだと、木に縛り付けられて膝を撃たれ、それから胸を撃たれたのだという。その後、犯人は伯父の縄を解いて横たえて目を瞑らせた。動機は隠していた金貨と思われたが……。人間も長年生きていると色々ある。特に政変の激しい国だと本作のようなことはよくあるのだろう。それぞれ立場があるから無垢ではいられない。伯父だって戦後日本のように平和な時代なら善人として暮らせたのではないか。誰も悪人として生まれるわけではないし、好きで悪人になるわけでもない。

ヒルダ・パパディミトリウ「《ボス》の警護」。アッティカ警察署。犯罪捜査課のハリスがブルース・スプリングスティーンの警護を命じられる。それに呼応するかのように、旧ソ連のある国から匿名で脅迫メールが届いていた。しかし、その脅迫メールは奇妙で……。芸術を称揚するいい感じの短編だった。真相も微笑ましい。犯罪捜査課の同僚たちも新世代でおよそ警官タイプではない。そこが好ましかった。

マルレナ・ポリトプル「死への願い」。車にバイクが衝突し、バイクの運転手が死亡した。それを捜査する。本書を読んで驚くのは、どの短編も不況を背景にしているところだ。ギリシャの経済危機が影を落としている。特に本作の場合、「経済危機はエコの意識とあいまって、消費に関するあらゆる気分を変えてしまった。贅沢は縁遠いものになっていた」とあって深刻だ。日本も失われた三十年を経験しているから他人事ではない。最近は円安とエネルギー危機で何もかもが値上げだし……。

ヤニス・ランゴス「死ぬまで愛す――ある愛の物語の一コマ――」。拳銃を持った男が宝石強盗をする。男は次々と人を殺しながらある場所に向かうのだった。女のために死を覚悟してこういうことをするのもなかなかロマンティックだ。言葉よりも先に行動がある。そして、人を殺すのに躊躇いがない。殺人マシーンと化した男、その根底に愛があるところが興趣を添える。覚悟した愛情、覚悟した殺人、覚悟した死。無敵の人とは覚悟した者のことだ。

フィリポス・フィリプ「ゲーテ・インスティトゥートの死」。3人の無職男性が新興の新聞社に就職する。ところが、そのうち1人が何者かに刺殺されてしまう。やはり普通の人は他人の死に冷淡だと思う。たまに感情移入して取り乱す人もいるが(多くは女性だ)、あれだって一時の衝動に過ぎないだろう。最初は寂しくてもいずれどうでもよくなっていく。ところで、本書である人物が次のように述べている。「ギリシャ人は読むことをやめてしまった。新聞も雑誌も本も読まない。特に若いやつらだ。どこにいるかと思えば、インターネットの中をうろつき、携帯に張りついてる」。若者の読書離れは日本だけではなかった。ギリシャと日本は意外と共通点が多くて親近感が湧いてくる。

 

以下、本書の姉妹編。

pulp-literature.hatenablog.com