海外文学読書録

書評と感想

『エルピス —希望、あるいは災い—』(2022)

★★★

大洋テレビの女子アナウンサー・浅川恵那(長澤まさみ)とディレクター・岸本拓朗(眞栄田郷敦)が冤罪事件を追う。死刑囚・松本良夫(片岡正二郎)は2006年に発生した連続殺人事件の犯人とされていたが、当時彼にお世話になっていた人の証言によってそれが揺らぎ始める。調べていくうちに警察の捜査に何らかの圧力がかかっていたようで……。

全10話。渡辺あや脚本。

よくあるサラリーマンドラマだった。組織と個人、さらには保身と正義の葛藤が描かれている。

本作の舞台は東京の大手民放である。だから必然的に報道の問題にフォーカスされるのだが、わりとガチめにマスコミ批判を展開していて驚いた。内省の身振りにしては自己批判の度合いが強すぎる。冤罪にはマスコミにも責任がある。世論を間違った方向に煽って間違った人物を犯人に仕立てたのだから。そして、マスコミは過去を振り返りたがらない。冤罪を掘り起こして自分たちが間違っていたことを認めたくないから。また、証拠を揃えて冤罪の確証を掴んでも、それでスクープを打つことができない。報道することのリスクが大きいから。第四の権力たる報道機関も、大きすぎる責任は負いたくないのだ。本音を言えば、通常営業と低空飛行で日々を乗り切りたいのである。そこにあるのは大企業病に侵されたマスコミの姿、保身に汲々とするマスコミの姿だった。恵那と拓朗は真相究明に当たって様々な障害に阻まれるのだが、その第一の壁がマスコミの風土病である。すなわち、マスコミの事なかれ主義。この描き方には感心した。

事件にはある大物政治家が関わっていて、彼が警察に圧力をかけて真犯人の逮捕を阻止している。恵那と拓朗は国家権力との戦いを余儀なくされるのだった。個人的にこのような図式はどうにも乗り切れないのだが、まあ、これくらい敵が大きくないとドラマにならないのだろう。件の大物政治家は麻生太郎後藤田正晴をミックスしたような造形である。地位は副総理(麻生も後藤田も副総理経験者だ)。麻生はともかく、後藤田だったら殺人の隠蔽くらいはしそうである。あの世代はそれくらいやりそうな牙があった。というのも、自身が政治スキャンダルを起こした際、真っ先に秘書を自殺させていた世代だから。ただ、現代だとそういうのにはリアリティがない。どちらかといえば、ジャニー喜多川の性加害をマスコミ総出で隠蔽してきたことのほうが問題だろう。現代では政治家よりも芸能事務所の長のほうがよっぽど大きな権力を握っているのだ。仮に続編を作るとしたら、次はジャニーズ問題がモデルになると思う。

登場人物の造形はほとんどがステロタイプで邦ドラの限界を感じた。また、邦ドラらしく湿っぽいシーンが散見されてそれがどうにも鬱陶しい。たとえば、イケメンの眞栄田郷敦が鼻水垂らして泣く。そりゃ内輪にとっては熱演なのだろうが、見ているほうとしては「汚いからやめろ」としか思わない。そもそも何かあるごとに涙を流させるのもどうかと思う。涙を流すことで「わたし本気なんです」とアピールする。それがどうにも安っぽい。特に10話で恵那と拓朗がさめざめとしたやりとりをするところは茶番にしか見えなかった。邦ドラの湿っぽさはホントどうにかしたほうがいい。

恵那と拓朗は共に真相究明のために動いていた。ところが、恵那が報道キャスターに返り咲いたのに対し、拓朗は会社をクビになって知人の小さな会社に身を寄せている。この光と影が残酷だった。いつだって貧乏くじを引くのは男なのだ。ジェンダー平等とはつまり男が損をしろという思想なのである。