海外文学読書録

書評と感想

マリア・シュラーダー『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022/米)

シー・セッド その名を暴け

シー・セッド その名を暴け

  • キャリー・マリガン
Amazon

★★★

ニューヨークタイムズ。女性記者ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)がハーヴェイ・ワインスタインを対象とした告発情報を得る。ワインスタインはハリウッドの大物プロデューサーで、女優や従業員に性暴力をしているとの噂があった。関係者に取材すると、秘密保持契約によって発言を禁じられて何も話さない。

原作はミーガン・トゥーイー、ジョディ・カンター『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』【Amazon】。

日本に住んでいる僕はマスコミのことを信用していない。それどころか、薄っすら嫌ってさえいる。しかしそれでも、本作みたいに不正を暴く物語には胸を打たれるものがある。マスコミもやるときはやるのだなあ、と。思えば、BBCジャニー喜多川の性暴力を告発したときもそうだった*1。日本のマスコミが黙認していた闇に鋭く切り込んでいったのである。英米のマスコミのほうが日本のマスコミより相対的に頼りになるのかもしれない。たとえば、ニューヨークタイムズだってセクハラ疑惑のあったドナルド・トランプを追求しきることはできなかった(日本のマスコミが森友加計問題で安倍晋三を追求しきれなかったように)。それは彼が有力な政治家だったから。だが、私人であるワインスタインはきっちり起訴に持ち込んだ。日本のマスコミだってやる気があればジャニー喜多川を刑務所送りにできたのだ。しかし、彼らはそれをしなかった。見て見ぬふりをした。おかげで被害者たちは何十年も沈黙を強いられることになった。日本のマスコミへの不信感がますます募る。

今年に入ってから朝日新聞が反エビデンスキャンペーンを行っている*2。要約すると、エビデンスよりエピソードのほうが大切という主張だ。いったいどういう文脈でその主張が出てきたのかというと、昨今のキャンセルカルチャーを念頭に置いているようである。つまり、#MeTooジャニー喜多川の性暴力問題。性暴力の報道が大々的に行われる。すると被害者たちが続々と名乗り出る。しかし、ほとんどはエビデンスのない人たちだ。なぜなら性暴力は密室で行われるから。そういう人たちにエビデンスを求めるべきではない。それは彼らの「語り」を封じるものだ。この反エビデンスキャンペーンには賛否両論あるようで、僕もどちらを支持するか決めかねている。きっちり法廷でケリを着けるならエビデンスは必要だろう。しかし、突発的に降りかかった被害にそうそうエビデンスを示すことはできない。また、被害からだいぶ時間が経ってエピソードしか残ってないケースもある。エビデンスを重視すべきか、あるいはエピソードを重視すべきか。そういう問題が現代日本で提起されている。

本作もその辺の匙加減が分からないのだが、どうやらワインスタインと被害者たちは示談しているようである。しかも、ワインスタインにとって都合のいい秘密保持契約付きで。被害者は契約によって自分の被害を公にすることができない。こんな理不尽な契約が法的に有効なのか疑問だが、ともあれ示談自体が性暴力の明確なエビデンスになっている。おそらくこれがなかったら起訴できなかっただろう。書類に残すことは思いのほか重要なのだ。エピソードだけでは相手を追求することができない。そういう意味で反エビデンスキャンペーンは筋が悪いと言える。

印象に残っているシーン。バーで女3人が集まって仕事の話をしている。そうしたら男がナンパしてきた。何度も断るも男がしつこい。そこで激しい物言いをして男を追い払った。男は「不感症だ」と言って肩をすくめている。まさに本作を象徴したようなシーンだ。つまり、女は女であるだけで男に目をつけられる。侵襲的な暴力に晒される。女性の生きづらさを垣間見たような気がした。