海外文学読書録

書評と感想

ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(2012)

★★★

拳銃自殺して死体を焼かれたはずのアドルフ・ヒトラーが、2011年のベルリンで目覚める。周囲は彼のことをヒトラーそっくりの芸人だと思っていた。彼は時代錯誤の持論を述べるも、それらはすべてブラックジョーク扱いされてしまう。そんなヒトラーがテレビのコメディ番組に出演することになった。

「自分がだれであるかを、自分の意志で選べる人間などいない」。私は言った。「われわれがだれであるかを定めるのは、神の意志だ。そして人はそれぞれ、神に定められた義務をまっとうしなくてはならない」(下 p.143)

単行本で読んだ。引用もそこから。

ベストセラーのわりには、そこらの文芸書と変わらない濃密な語りが展開されていて読み応えがあった。語り手のヒトラーがとにかく思索的で、「過去の亡霊」という視点から、現代の文明を批評している。たとえば、洗濯屋のチェーン店のことだったり、周辺によくいるトルコ人のことだったり。とりわけマスコミに対しては念が入っていて、新聞を手厳しく罵ったかと思えば、テレビが価値のないものを映していると呆れ返ってもいる。このように本作は、浦島太郎状態のヒトラーが現代の大衆文化を切り捨てているところに味があるのだ。といってもまあ、こういうのは転生もののお約束ではある。いつの時代も、過去と現在のギャップは拭い難いものがあるのだから。しかし本作の白眉は、ヒトラーが徹頭徹尾真面目であるところだろう。彼は自分が総統であることを神意だと信じ、今やタブーとなったナチスの信条を臆面もなく述べている。そして、その唐変木ぶりが可笑しみを醸し出している。彼は笑うことはあっても決して冗談は言わない。2011年においてもヒトラーであることを貫いている。

ドイツでヒトラーを題材にすることは、日本で天皇を題材にするのと同じくらいデリケートで危険を孕んでいる。特に本作の場合、ヒトラーの思索がユダヤ人に及んだとき、その危険が最大化される。読んでいるほうとしても、現代のコードを逸脱するんじゃないかとひやひやする。というのも、現代では表現の自由が抑制されているからだ。ドイツではナチスを賛美したら罪に問われるし、日本では天皇をネタにしたら右翼に襲撃される。ヒトラーを題材にする以上、ユダヤ人問題は避けて通れないのだけど、そこは理性的な筆致に終始していて、上手く綱渡りしていたと思う。何より、下巻で彼の思想を相対化するエピソードを挿入し、その主張をぐらつかせるところがいい。ヒトラーも我々と同じ人間なのだという当たり前の事実が浮き彫りにされている。

最初はゴシップに過ぎなかったヒトラーが、テレビ出演を通して文化にまで上り詰める。これはかつてヒトラーが政権を掌握した過程をなぞっているし、現代日本でも、たとえばオウム真理教が同じような道を辿っている。麻原彰晃は事件を起こす前、バラエティ番組の出演者として顔を売っていた。お茶の間で笑い者になっていた人間が、いつしか社会に対して牙を剥く。メディアを媒介にしたこの構造は、今後何十年も続いていくのだろう。悪人が悪人であることは本人の責任だけど、悪人に権力を持たせるのは大衆の責任である。我々はそのことを肝に銘じておきたい。