海外文学読書録

書評と感想

コルソン・ホワイトヘッド『ニッケル・ボーイズ』(2019)

★★★

1960年代のフロリダ州。黒人の高校生エルウッドは品行方正で勉学に励んでおり、大学の授業に誘われるほど優秀だった。ところが、ある日無実の罪で少年院ニッケル校に送られることになる。そこでは娑婆と同じく人種差別があり、また職員が暴力で少年たちを押さえつけていた。

生徒たちは、話しかけられるまでは白人とは話をしないように教えられていた。真っ先に覚えることだ。学校で、自分たちの埃っぽい町の通りや道路で。それをニッケルで強化される。お前は白人の世界に生きる黒人の少年なのだ、と。(p.220)

ピュリッツァー賞受賞作。

戦後になってもこういう人種差別や暴力があることにぎょっとするのだけど、その反面、アメリカなら当然だよなあという諦観もあって、さほどインパクトがなかった。たぶん、今まで吸収してきた映画やノンフィクション、あるいはニュースなどで慣れてしまったのだろう。白人はいつだって不当な差別をしているし、いつだって手酷い暴力を振るっている。それはPCが一般的になった現在でも変わらない。本作を読んで、そういった見識を補強することになった。

エルウッドは常に「正しい行い」を心がけている。そうすれば周囲から適切に扱ってもらえるかのように。しかし、それは娑婆でも少年院でも通用しないのだった。娑婆では車泥棒の濡れ衣を着せられているし、少年院では不当な暴力に晒されている。エルウッドはニッケル校に送られた当初こう思っていた。「故郷では落ち着いていて頼れる人間だと周囲に思われていた。ニッケルの人たちもすぐにわかってくれるだろう」と。ところが、それは甘い見通しで、むしろこれから起きることのフラグになっている。結局のところ、優等生だろうが悪たれだろうが、そこにいる限り理不尽な目に遭わされるのだ。どんな災厄に見舞われるかは運次第。肌の色が黒いだけで小突き回されるのはとてもきついことである。

エルウッドの友人になるターナーは裏の主人公で、彼がニッケル校に送られた経緯が興味深い。ターナーは娑婆にいた頃、ボウリング場で白人に愛想を振りまきながら働いていた。ところが、ある日それを同胞に咎められることで態度が一変する。白人に対して敵対的になる。人間としてのプライドが芽生えたのだ。その結果、彼は少年院送りになったけれど、しかし、後先考えない反骨精神は見上げたものである。体は奴隷になっても、心まで奴隷になったらお終いなのだ。このエピソードは内面の壁を乗り越えていて好ましかった。

校内で開催されたボクシング大会が何とも言えない。ここでは白人代表VS黒人代表でタイトルマッチが行われている。直近では黒人代表が連勝を重ねてきた。今回の黒人代表はいじめっ子のグリフなのだけど、彼は職員からわざとダウンするよう八百長を持ちかけられる。その顛末は……。これがまた目を覆うような感じで、前述のターナーのエピソードと比較すると脱力してしまう。これはこれで災難だと思った。

エピローグが人を食った感じで、まさかそういう仕掛けがあったとはと不意を突かれた。文芸ものでこれをやるのは珍しい。見事にしてやられた。