海外文学読書録

書評と感想

デヴィッド・フィンチャー『ゴーン・ガール』(2014/米)

★★★

ニック(ベン・アフレック)の妻エイミー(ロザムンド・パイク)が5回目の結婚記念日に失踪する。エイミーは父が書いた児童文学シリーズのモデルとして有名だった。警察は当初、失踪事件として捜査するが、捜査していくうちにニックによる殺人の線も出てくる。ニックは捜索に協力してもらうべくメディアに主演する。ところが、大衆は彼を犯人扱いするのだった。

原作はギリアン・フリンの同名小説【Amazon】。

見ている最中は二転三転する筋書きに目が離せなかったが、終わってみると随分と無茶な話だったと思う。ミステリ小説の映画化にありがちというか。エイミーの計画は警察がちゃんと調べたら分かるのではないか。ともあれ、殺人の偽装を映像で再現するところは間抜けで面白かった。たぶん小説だったらこういう部分は勢いで押し切るのだろうが、映像だと曖昧にできないからつらいところだ。綿密な計画のせわしい進行はコメディとしてまあまあ楽しめる。人は愛憎が絡むと物事の手間を惜しまないのだ。そのことは連城三紀彦の小説で学んだ。本作はエイミーの執念に圧倒される。

失踪が狂言であることは早い段階で予見できるが、思わぬトラブルで計画の変更を余儀なくされるところは先が読めなくて面白い。ニックは弁護士を雇って反撃に出るも逮捕されるし、エイミーはエイミーで状況が悪化している。特に後者は破綻のきっかけがDQNカップルによる強盗であるところがいい。アメリカならこういうこともあるだろうと思わせる。その後、元カレに協力を仰ぐ展開は最高にスリリングだ。というのも、元カレは人格的にやばそうだし、そもそも一人でやることが前提の計画だから人が絡むこと自体バレる危険を孕んでいる。エイミーにとって元カレの扱いは難しい。しかし、そこを力技で乗り越えるところはたくましかった。セックスに誘ってからのあのシーンは最大の見せ場だろう。エイミーの泥臭さに生存本能が見て取れて迫力がある。

エイミーは優秀な人間だが、そんな優秀な人間でも思わぬトラブルで計画がご破算になる。しかし、そこからの修正力がすごかった。優秀な人間は転んでもただでは起きないのだ。男性の僕はどうしてもニックの視点で見てしまうから、エイミーが恐ろしくてしょうがない。こんな女傑は敵に回したくないと思う。今までが今までだから信用できないし、かと言って無事に切り抜ける手段もない。喉元にナイフを突きつけられているような状況である。夫婦というのは本来は安心できる関係のはずだが、ニックはいつ寝首を掻かれるか分からないので安心とは対極だ。危険と隣り合わせの緊張状態で残りの人生を過ごすのは拷問である。こういったホラー展開に着地するところはまったく予想外だった。

男にとって女とは永遠の謎でだからこそ恐怖を感じる。それが証拠に本邦の近代文学なんてその話ばかりだ。近代に入ってから「恋愛」という文明のゲームが始まり、男は異性のプレイヤーと初めて向き合うことになった。男にとって女の内面は計り知れない。本作のエイミーに恐怖を感じるのも僕が男だからだろう。男はいくつになってもどれだけ経験を重ねても女を理解できない。女とは究極の他者である。本作を見てそのことを思い知らされた。