海外文学読書録

書評と感想

ミケランジェロ・アントニオーニ『愛と殺意』(1950/伊)

愛と殺意(字幕版)

愛と殺意(字幕版)

  • ルチア・ボゼー
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★★★

実業家のエンリコ(フェルディナンド・サルミ)が探偵カルローニ(ジーノ・ロッシ)に若妻パオラ(ルチア・ボゼー)の調査を依頼する。自分が調査されていることを知人に伝えられたパオラは、元カレのグイド(マッシモ・ジロッティ)と会うことに。かつて2人はエレベーターの事故で女を亡くしており、それがきっかけで別れていた。パオラはエンリコを嫌悪して再びグイドを愛するようになる。ところが、グイドは貧しい労働者階級で金がなかった。2人の愛を成就させるためにはエンリコを殺すしかない。

犯罪映画のテンプレみたいな状況を作りつつ、ちょっと捻った展開を見せている。その布石としてエレベーターの事故を持ってきたのが面白かった。この事故で死んだのはグイドの婚約者であり、パオラとグイドの関係は略奪愛なのである。しかも、ほとんど未必の故意による殺人だった。それを踏まえつつ終盤で似たような出来事を反復させている。エレベーターの事故で一度燃えがった愛が冷めたわけだが、それすらも反復されてしまうのだから面白い。ある種の幸運によって障害が取り除かれたのに、その状況にどん引きして別れることになる。素直に愛が受け入れられないところは現代の蛙化現象に近いかもしれない。

戦後7年しか経ってないのに貧乏臭くないところは特筆すべきだろう。爆撃の話が出てきたり、傷痍軍人のためのチャリティーオークションが行われたりするものの、富裕層はリッチな生活を送っている。思えば、戦後の日本映画もこういう側面が描かれていた。敗戦国でも富というのはあるところにはあるのである。一方、裕福なエンリコに対してグイドは貧しく、流しのカーディーラーをしてその日暮らしをしている。状況としては、一人の女をブルジョワプロレタリアートで取り合っているのだ。ブルジョワのエンリコが脂ぎったおじさんなのに対し、プロレタリアートのグイドは若いイケメンである。そして、ヒロインのパオラは後者に惹かれている。いつの時代も女は若いイケメンを選好する。若くもなくイメケンでもない僕は寂しい気持ちになる。

パオラはセレブ風の美女で庶民の出には見えない。顔立ちは端正でスタイルも良く、ブルジョワの風格が漂っている。パオラとグイドでは生活レベルに天と地の差があった。しかし、愛はそれを乗り越える。問題はこの先の展望だ。グイドと一緒に逃げても待っているのは貧乏暮らしである。贅沢の味を知ったパオラはその生活に我慢できないだろう。だから終盤でエンリコの殺害計画が持ち上がるわけだが、こういうのを見ると愛とは徹頭徹尾エゴイズムだと思う。実質的に強盗殺人と同じなのに、どこかヒロイックな甘さが漂っているのだから。愛を名目にすれば罪のない一般人も道端の石ころみたいに排除できる。犯罪を正当化する口実として極めて優秀だ。

過去にあったエレベーターの事故。回想シーンを交えず語りだけで表現したのが良かった。おかげでだいぶ謎めいた印象になっている。