海外文学読書録

書評と感想

ビアンカ・ピッツォルノ『ミシンの見る夢』(2018)

★★★

19世紀末のイタリア。疫病で家族を失った少女が祖母と2人暮らしをする。少女はお針子として生計を立てていくことになった。少女は仕事の関係で富豪令嬢のエステルと知己になり……。

私は生きていくなかで、どのような歳、性格、行動のひとであっても、お金持ちは敬うものだと教えられた。富はそのひとの権力を強め、私たちより強力な存在にする。指をパチンと鳴らすだけで、私たちなど押しつぶし、破滅させることができるのだ。お金持ちは、必ずしも感服すべき存在ではなく、私たちにとって批判の対象にも軽蔑の対象にもなり得た。でも、それを表明してはいけない。とくに、彼らの目の前では絶対にしてはいけない。彼らに対しては常に恭しく振る舞わなければならなかった。(p.221)

主人公の少女が各章の観察者となって逸話を披露していく連作短編集みたいな構成。と同時に、少女自身も成長して自分の人生を歩んでいく。一見すると王道でありながらも、全体を通すとちょっと捻った話になっていて、この塩梅はベテランの児童文学作家という感じがした。

印象に残っているのがプロヴェーラ家のエピソード。弁護士の夫がケチで新品の服を買ってくれないため、妻が裁縫を覚えて自分たちで服を縫っている。ここで焦点になっているのが服の作り直しだ。ほどいては縫直し、バラバラにしては別の形に作り直す。一家はそういうことを長年にわたって続けてきた。上流階級ではまずあり得ない光景である。この章はオチがとても面白いのだけど、そこは敢えて伏せておこう。とんでもない道筋で一大スキャンダルになるのは笑ってしまった。

ミス・ブリスコーのエピソードも面白い。アメリカ人ジャーナリストのミスは女性でありながら、そして平民でありながら、階級間を横断しての幅広い付き合いがある。貴族、富裕階級、芸術家、田舎の教区司祭、職人、貧乏人など。現地のイタリア人だったら到底望むべくもない状況だ。これはミスが外国人だからだし、また、ジャーナリストという一目置かれる職業だからだろう。彼女は階級社会における希望のような存在だった。ところが、そんなミスも最後に意外な結末を迎える。ここはミステリっぽい風味があって奇妙な後味を残していた。

ただ、本作には気になる点もあって、それは筋を展開するための作為が鼻につくところだ。たとえば、エステルが出産するエピソードでは、医者が必要以上に無能に設定されていてそれがスリルを醸成している。また、主人公とドン・グイドの恋路では、2人がストレートに結ばれないよう主人公に「誤解」を生じさせている。いずれも作者の作為が透けて見えるのが引っ掛かった。後者についてはおそらく一人称の語りが原因で、語り手の視野の狭さがダイレクトに伝わってきたからだろう。これが三人称の語りだったら違和感も多少は緩和されたかもしれない。

終盤までシンデレラ・ストーリーと思わせてエピローグで捻っているのが良かった。児童文学の作家だからこそこういう外し方ができたのだと思う。