海外文学読書録

書評と感想

リン・マー『断絶』(2018)

★★★

ニューヨーク。6歳のときに中国から移民してきたキャンディス・チェンは、大学を卒業後に出版制作会社の聖書部門に就職する。ところが、2011年に中国深圳でシェン熱と呼ばれる疫病が発生。またたく間に世界中に広がり、それはアメリカにも上陸してきた。シェン熱は発症すると生ける屍となってやがて死んでしまう。ニューヨークが全滅したため、キャンディスは生き残りと合流して旅をする。

思い出は、さらに思い出を生む。シェン熱とは記憶の病であり、熱病感染者は自分の思い出のなかに果てしなく囚われてしまう。でも、熱病感染者と私たちとのちがいはどこにあるのだろう。私だって思い出すし、完璧に覚えているからだ。命じられるわけでもなく、私の思い出は再生し、繰り返す。それに、熱病感染者たちと同じように、私たちの日々も果てしないループになって続いていく。運転して、寝て、さらに運転する。(p.188)

中国発祥の疫病がパンデミックを引き起こす点で、シェン熱は昨今のCOVID‑19を先取りしている。しかし、COVID‑19は感染力が強い代わりに致死率が低いから何とかなっているものの、シェン熱は感染力が強いうえに致死率が高いから世界崩壊の危機に陥っていた。本作を読んで思ったのは、仮に人類が滅びるとしたら核戦争ではなく疫病によってだろうということだ。人間同士の争いは制御できても自然災害を制御することはできない。20世紀に冷戦構造が崩壊し、21世紀はアメリカと中国の対立が表面化した。その矢先、中国から発祥した疫病が世界を覆い尽くすのは皮肉な事態である。それは中国経済の伸張と軌を一ににしている。シェン熱もCOVID‑19も中国による世界制覇の隠喩であり、それは世界の混乱を意味している。

本作はポストアポカリプスものでありながらも、主人公のルーツが中国にあるため、移民小説の要素も含んでいる。この部分では親世代との相克がクローズアップされていた。キャンディスは母親と分かりあえず、結局はそのまま両親と死別してしまう。この辺は移民小説の王道と言っていいだろう。しかし、両親に焦点を当てた第十六章は出色のエピソードで、移民の彼らがいかにして祖国と切れるのかが描かれている。親世代はアメリカに渡ってチャンスを掴むことが上昇への近道だった。これが21世紀だと話は違う。世界の工場になった中国はIT化が進み、先進国と遜色のないチャンスが転がっている。アメリカに渡るか中国に留まるかの選択肢がある。そういう意味で、今後移民小説の事情も変わっていくのかもしれない。

本作で奇妙だったのは、感染したら確実に死ぬ病が流行しているのに経済活動を続けていることだった。これはつまり、人間の認知能力には限界があることを意味している。思えば、COVID‑19が蔓延している日本でも二階俊博が主導するGo To トラベルが実行され、感染をますます拡大させていた。二階は全国旅行業協会の会長であり、業界から多額の献金を受けている。災害につけこんで私利私欲を追求したのだ。人類は災害が起きても合理的な行動をとることはない。現実はフィクションを模倣し、フィクションもまた現実を模倣している。

ところで、キャンディスの会社が聖書の印刷を中国の工場に委託するところが皮肉で、アメリカと中国は政治的には敵対しながらも経済的にはもたれ合っている様子が見て取れる。作中でも指摘されている通り、キリスト教的欧米イデオロギーが中国で生産されることになったのだ。こうしたメイド・イン・チャイナの氾濫が、本作のシェン熱に象徴されているところが面白い。