海外文学読書録

書評と感想

カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(1940)

★★★★

アメリカ深南部の田舎町。聾唖者のシンガーさんは同類の親友と仲良く暮らしていたが、親友はある時期から人が変わったようになり、精神病院に入れられてしまう。以降、シンガーさんは下宿で一人暮らしすることになった。やさしく物静かなシンガーさんは、白人からも黒人からも信頼されている。シンガーさんを中心に、ミドルティーンの少女ミック、カフェ店長のビフ、黒人のコープランド医師、アナーキストのブラントらが交錯する。

いつものように彼女の心には歌があった。彼女はそれを一人でハミングした。

「何をハミングしてるんだい?」

モーツァルトって人がつくった作品よ」

ハリーはかなり良い気分になっていた。彼は敏捷なボクサーのようにサイドステップした。「それって、ドイツ系の名前みたいだな」

「そう思うけど」

ファシストかい?」

「何ですって?」

「そのモーツァルトって人ってのは、ファシストかナチかって言ったんだよ」(p.123)

1930年代後半が舞台。黒人差別やファシズムといった時代性を色濃く感じた。本作では銃撃事件や足の切断、主要人物の自殺など、ショッキングなエピソードが盛り込まれている。しかし物語はそれに執着せず、淡々と運命の日に向かっていく。

シンガーさんが本作の中心人物で、彼は聾唖ゆえに独特の立ち位置を確保している。シンガーさんは誰に対してもやさしく、色々な人たちから相談を持ちかけられるような人物だ。それはもちろん彼が善良で信頼できるからだけど、もうひとつ、聾唖ゆえに余計なことを口にしないことが原因でもある。彼はただそこに存在し、必要があれば筆記で応答している。その安心感は、まるで少女の部屋に置いてあるぬいぐるみのよう。邪な欲望を感じさせない落ち着いた佇まいによって、一種の安全地帯を作り上げている。強いて本作の主人公を挙げるとすれば、それはシンガーさんではないか(訳者の村上春樹はミックを主人公に位置づけているけれど、僕はその見解に反対なのだった)。彼は親友と離ればなれになったがゆえに本質的な欠落を抱えており、終盤、それが決定的になることで重大な化学反応を起こしている。

本作で興味深い人物は、ジェイクとコープランド医師だ。ジェイクは白人のアナーキストコープランド医師は黒人のインテリである。2人に共通しているのは、社会なり他人なりを変えたいということだ。ジェイクは大衆を覚醒させて資本主義を打破したい。コープランド医師は格差社会を是正して黒人を解放したい。つまり、どちらも公平さに基づいた社会変革を望んでいる。終盤では2人が政治的な対話をするのだけど、大筋では価値観が一致しているのに、結局は物別れで終わるところが何とも言えなかった。この手の革命家は、些細な違いが大きな違いになってしまうようだ。2人がファシズムで共鳴したときは、どうなることやらと期待したのだけど。

コープランド医師は優生思想の持ち主である。彼によると、今生き残っている黒人は、過酷な環境を生き延びたエリートなのだという。かつては奴隷として酷使され、解放後は差別に苦しめられ、大勢の黒人が死んでいった。今いる黒人は淘汰された人材の子孫なのだ。ヒトラーが考えるアーリア人とは逆向きだけど、ともすればユダヤ人並に差別される黒人が、ヒトラーと同じ思想に行き着くところが面白い。

さらにこのコープランド医師、中盤ではカール・マルクスについて演説している。カール・マルクスは人種による区分けをせず、あらゆる人間の平等を目指した。黒人はひとつの奴隷制度から解放されたものの、代わりに別の奴隷制度に放り込まれて苦しんでいる。そこから抜け出すにはどうすればいいか? それは「能力に応じて働き、必要に応じて受け取ること」を徹底すればいいと説く。そうすることで、この世のすべての不平等が解決するのだ。現実ではマルクス主義を導入した国家は散々な結果に終わったけれど、しかしカール・マルクスの理念自体は立派で、今でも腐らないと思う。

というわけで、ファシズムと人種差別に揺れる戦前のディープサウスを堪能した。