海外文学読書録

書評と感想

アレクサンダー・コルダ『美女ありき』(1940/英)

★★

18世紀末。美しい娘エマ(ヴィヴィアン・リー)が、ナポリに駐在する英国大使ハミルトン卿(アラン・モーブレイ)と結婚する。その後、イギリスはナポレオン統治下のフランスと開戦。ネルソン提督(ローレンス・オリヴィエ)が職務でナポリにやってくる。エマもネルソンも配偶者がいたが、お互いに惹かれ合って愛人関係になるのだった。

つまらない映画だったけれど、ヴィヴィアン・リーローレンス・オリヴィエが不倫の果てにくっついた夫婦であることを踏まえると、随分皮肉な配役だと思う。たとえるなら、『アイズ・ワイド・シャット』【Amazon】でトム・クルーズニコール・キッドマンが夫婦役で共演したときのような感じ(こちらは2人が離婚するのを予言している)。本作は俳優のゴシップを頭に入れたうえで楽しむタイプの作品だろう。たまにこういう映画を見かけるから厄介である。

ハミルトン卿は美術品の愛好家で、彼は序盤、彫刻を指して「過去はどうであれ美しさは永遠だ」と言い放つ。これは彼の女性観でもあった。というのも、結婚相手のエマは庶民のうえ、恋愛関係で何らかのスキャンダルを起こしていたのである。しかし、ハミルトン卿にとって女性は彫刻と同じであるため、過去のことはとやかく言わない。美しければどうだっていいと割り切っている。こういう女性観はなかなか理解し難いけれど、現実において社会的地位の高い男性は高確率で美女と結婚しているわけで、彼らにとって美人妻はステータスシンボルなのだろう。いわゆるトロフィーワイフというやつである。しかし、ここで僕は考える。彫刻の美しさが永遠なのに対し、女性の美しさは一瞬でしかないぞ、と。つまり、人間である以上、歳をとったら嫌でも容色は衰える。上辺の美しさなんてせいぜい10年から15年くらいしか保たない。耐用年数を過ぎたらどうするのだろう? というわけで、夫婦関係におけるルッキズムの限界を見たのだった。

ハミルトン卿は不倫されても仕方がないところがある。妻のことを飾りくらいにしか思っていなかったのだから。それに対し、ネルソン夫人(グラディス・クーパー)は何の落ち度もないのに夫を寝取られているのだから同情してしまう。これは人生の不条理というやつだろうか。いくら身を慎んでも災いからは逃れられない。中盤、エマとネルソン夫人が並んで立っているシーンが残酷で、明らかにエマのほうが若くて美しかった。男ってやつはまったくもう……。やはり不倫は糾弾されて然るべきだと思う。

エマとネルソン提督の不倫が社交界でゴシップになっていたり、ネルソン夫人がエマのことを「英雄に吸いつく寄生虫」と評していたり、不倫に対してある程度批判的な視点があるのは良かった。ネルソン提督の死後、エマがあからさまに落ちぶれていて、これは不貞の罰ではないかと錯覚したくらいである。本作は旧来的なモラルの枠組みが守られているように感じた。