海外文学読書録

書評と感想

アリス・ウォーカー『カラーパープル』(1982)

★★★

20歳のセリーは、妹の身代わりとしてミスター**の元に嫁がさせられる。2人の間に愛はなく、セリーはミスター**の子供たちを世話するために結婚させられたのだった。セリーは夫から暴力を受けて彼に従う一方、義理の息子夫婦は妻のソフィアのほうが主導権を握っている。あるとき、そのソフィアが市長に暴行して逮捕されてしまう。

セリー、ほんとうのことを教えてくれ、おまえはおれが男だから好きじゃないのか。

あたし、鼻をかんだ。ズボンをぬいだら、男はみんなカエルのように見えるんだよ、あたしには。どんなふうにキスしようと、あたしに関するかぎり、男はみんなカエルにすぎない。

そうか、と彼は言った。(p.309)

ピュリッツァー賞、全米図書賞受賞作。

黒人女性は二重の意味でマイノリティである。ひとつは女性であること。それゆえに男性から酷い仕打ちを受けている。そして、もうひとつは黒人であること。それゆえに白人から酷い仕打ちを受けている。つまり、女性差別と人種差別のダブルパンチを食らっているという次第だ。

家庭では父が娘に、さらには夫が妻に暴力を振るうのが当たり前になっている。この状況は読んでいてきつかった。もし自分が同じ境遇にいたら絶望していただろう。反抗しようにも体格差があってどうにもならないから。生きる希望なんてこれっぽっちもない。本作では女性がやたらと子供を産んでいるが、これは彼女たちの社会的地位と関係があるのだろう。女性の地位が高いと少子化になり、低いと多産になる。周知の通り、日本を含む先進国では少子化が進んで問題になっている。これは女性の地位が向上した結果、すなわち女性が「産む機械」でなくなった結果なので何とも複雑だ。このことが示唆しているのは、人類の繁栄が女性の犠牲の上に成り立っていたという事実だ。村田沙耶香の小説『殺人出産』【Amazon】では、男性も人工子宮をつけて妊娠できるようになっていた。そういうシステムが我々には必要なのかもしれない。

アメリカの黒人はルーツがアフリカにある。当時のアフリカ人は同胞を奴隷商人に売り渡していた。端的に言えば裏切り者である。そういう視点から黒人問題を見たことがなかったので、本作の知見は新鮮だった。ご先祖様はこいつらの先祖に売り飛ばされた。我々は奴隷の子孫だ……。しかし、だからと言ってアフリカ人を憎んでいるわけではない。そこは時の流れとともに憎悪が薄れ、見知らぬ故郷への愛情のほうが強くなっている。アフリカの黒人とアメリカの黒人は、同じ黒人であっても、さらには同じルーツであっても、現在の立場はまったく違う。これから黒人文学を読むときはそのことを意識しようと思った。

キリスト教をどう捉えるべきだろう? クリスチャンの宣教は、西欧諸国の植民地政策と密接に結びついていた。それだけではなく、かつては黒人奴隷を白人に従わせるため、キリスト教の教えが悪用されていた。肉体的のみならず、精神的にも黒人を奴隷にしていたのだ。だから無宗教の現代人は、信心深い黒人を見ると複雑な心境になる。未だに奴隷化のための教義に縛られているのか、と。この問題についてはまだ考えがまとまってないので、とりあえず保留にしておく。

女性差別、人種差別、宗教問題。世界にはまだまだ問題が山積みだ。僕が生きているうちに少しでも改善されればいいと願っている。