海外文学読書録

書評と感想

サム・ライミ『スパイダーマン2』(2004/米)

★★★★

前作から2年後。大学生になったピーター(トビー・マグワイア)は相変わらずスパイダーマンを続けている。ところが、そのせいでバイトをクビになったり学業が疎かになったりしていた。女優として成功したメリー・ジェーン(キルスティン・ダンスト)とも仲が悪くなってしまう。また、親友のハリー(ジェームズ・フランコ)は前作のことがあってスパイダーマンを憎んでいた。そんななか、天才博士がヴィラン化してドクター・オクトパス(アルフレッド・モリーナ)になる。

『スパイダーマン』の続編。

前作よりだいぶ面白くなっていて意外だった。VFXも当時にしては頑張っている。走行中の列車の上で戦うシーンなんて神がかっているのではないか。このシーンは糸を使った動きのクリエイティビティと躍動感が良かった。

本作ではヒーロー活動と日常生活の両立が破綻する。ピーターはヒーロー活動のせいでバイトをクビになり、学業が疎かになり、意中の女との関係も悪化した。ヒーロー活動は完全なボランティアである。だから別途生活費を稼がなければならない。しかし、犯罪はこちらの都合などお構いなしに発生する。その対処に時間を取られて日常生活と折り合いがつかないのだった。ヒーロー活動が経済活動に組み込まれていないところがピーターの悲劇である。街の治安をボランティアに任せるのは良くないのではないか。行政はスパイダーマンに給料を支払うべきではないか。そんな疑問が脳裏をよぎるが、本作においてヒーロー活動はノブレス・オブリージュである。つまり、ギフトは世のために使うべきという考え方。才能を世に役立てようという義務感がヒーロー活動を支えているのだ。だからピーター個人はまったく報われない。それどころか、総体的には損をしている。ピーターはあることがきっかけでスランプに陥り(糸が出なくなる)、ヒーロー活動から足を洗う。今までの積み重ねを見ると、そうなるのも無理はないと思わされる。

制作陣が認めている通り、スパイダーマンの糸は精液のメタファーである。だからピーターの若さは重要なファクターで、若いから立て続けに糸を放出できている。そんなスパイダーマンは、メリー・ジェーンが男とイチャイチャしているのを目撃することで糸が出なくなってしまう。つまり、不能になってしまう。本作ではご丁寧にも精神分析医のカウンセリングで説明してくれるが、ともあれ、ヒーローの挫折がプライベートな問題に直結しているのが面白い。日常生活を圧迫していたヒーロー活動は、日常生活の破綻によって終息してしまうのだ。若い男にとって女を失うのはすべてをなげうつほど苦しい。ほとんど世界の終わりと同義である。男と女のデリケートな関係が、ヒーロー活動に影響するところがアメリカらしくて興味を引く。ヒーローもまた一人の人間に過ぎなかった。逆に言えば、どんな人間でもヒーローになり得るということである。

このシリーズのヴィランは純粋な悪党ではない。元は優秀な科学者である。ところが、人間性を損なう危険な発明のせいでヴィラン化してしまうのだった。前作も本作も概ね似たような経緯である。ここまで来ると、このシリーズが科学万能主義に対するアンチテーゼに思えてくる。ゼロ年代はそういう時代だったのだろうか。最終的にヴィランが正気を取り戻して危機の後始末をするところはなかなか捻っている。