海外文学読書録

書評と感想

ルイーザ・メイ・オルコット『若草物語』(1868)

★★★

南北戦争。父が北軍の従軍牧師として出征したため、女だらけになったマーチ家。長女メグ(16)、次女ジョー(15)、三女ベス(13)、四女エイミー(12)の四姉妹が、母のマーチ夫人、女中のハンナらとともに生活をやっていく。一家は敬虔なピューリタンで、『天路歴程』を範としていた。四姉妹は隣人のローリー(15)と親しくなり……。

「娘たちに心からの愛とキスを。昼間はみんなのことを思い、夜にはみんなのために祈っています。みんなが愛していてくれるということが、つねに最大のなぐさめなのです。みんなに会えるまで一年も待たなければならないと思うと、その一年がとてつもなく長く感じられます。だが、わたしを待っているあいだ、みんなにはそれぞれの務めをしっかり果たして欲しい。つらい日々を無駄にしないように。わたしが娘たちに言い置いたことは憶えてくれていると思います。あなたを愛するやさしい娘たちであり、各自の義務を忠実に果たし、心の奥底にひそむ敵と勇敢に闘い、自分との闘いにみごとに打ち勝ってもらいたいということです。そうすれば、家に戻ったとき、わたしはわたしのリトル・ウィメンを、今までにも増していとおしく、誇らしく思うでしょう」(Kindleの位置No.244-252)

当時のPCを具現化したような小説で興味深かった。プロテスタントの規範に忠実であることを要求する一方、ジェンダーについては進歩的で、女の幸せは必ずしも結婚に限らないとしている。つまり、意に沿わない結婚をするくらいなら独身を通してもいいということだ。19世紀半ばのアメリカでこんな主張が出てくるとは驚きで、北部の中産階級において女性は意外と自由だったのかもしれない。西部劇を見る限りでは男は「男らしさ」を強要されていたけれど、本作において女は「女らしさ」を免除されていた。男女の間でここまで差があるのは意外で、これが当時の実態を反映しているのか、あるいは作者の理想なのか、現代の読者としては頭を悩ませるところである*1

ジョーの人物像もPCに拍車をかけていて、彼女は姉妹の中でも特にボーイッシュな立ち位置にいる。「女らしさ」に頓着しておらず、むしろ巷のそういった規範に疑念の眼差しを向けていた。その一例が、前述の結婚にまつわる主張である。意に沿わない結婚をするくらいなら独身を通してもいい。そう言ったのは彼女だ。また、終盤では病気の父のために自分の髪の毛を売却し、自慢のロングヘアから一転してショートヘアになっている。ここでも意図的に「女らしさ」が毀損されていて、ありきたりなジェンダー規範から自由であろうとしていた。この時代にここまでPCなのもなかなかすごい。

ただ、時代の制約を感じるのがプロテスタントの規範に忠実なところで、『天路歴程』【Amazon】をお手本としながら人格を陶冶しようとするところは「うへぇ」となった。これはまあ時代相応だから仕方がない。ジェンダー面では現代に匹敵するくらい進歩的なのに、宗教面では近代らしく保守的で、そのギャップが現代人の僕には歪に映ったわけだ。しかしながら、実はこれこそがアメリカ発展の要諦である。プロ倫【Amazon】の世界観を採用するならば、「天国に行きたい」という欲望が人々の向上心を喚起させ、人格の完成や経済的成功を促したのだ。そう考えると信仰も馬鹿にしたものではない。その時代には確実に必要だったことが窺える。

というわけで、本作は古い価値観と新しい価値観が同居していて興味深かった。

*1:ちなみに、先日読んだ『勇気の赤い勲章』は「男らしさ」にまつわる小説だった。