海外文学読書録

書評と感想

山中貞雄『河内山宗俊』(1936/日)

★★★

職業不詳の河内山宗俊河原崎長十郎)と浪人の金子市之丞(中村翫右衛門)は、甘酒売りのお浪(原節子)に好意を抱いている。お浪には弟・広太郎(市川扇升)がいるが、不品行の彼は侍の小柄を盗むのだった。やがて広太郎の悪事は雪だるま式に増大し、遂にはお浪の身売りにまで発展する。宗俊と市之丞は協力してお浪を助けようとするが……。

スタンダードサイズの映画は奥行きが見所なのかもしれない。さして広くもない部屋の中、手前で俯く広太郎と奥で俯くお浪を同時に捉えたショット。ここなんか構図としてばっちり決まっている。また、終盤における狭い路地での大立ち回り。ここでも奥行きを活かしたアクションが繰り広げられている。スタンダードだと横を広く使えない。だから奥行きを使って空間的な広がりを印象づける。古い映画もなかなか面白い。

本作における諸悪の根源は広太郎である。侍の小柄を盗んで売り払ったり、知り合いの遊女を死なせたりしているし、それだけでなく勘違いから人殺しまでしている。物語としては主要人物をトラブルに巻き込む装置ではあるが、ここまで不品行だと見ていてどん引きしてしまう。そもそもこいつがいなかったらみんな平和に暮らせた。宗俊も市之丞もお浪も彼の尻拭いをさせられている。広太郎は幼い顔をしてやっていることは凶悪なのだ。とはいえ、こういうトラブルメーカーがいないと話が成り立たない。窃盗や殺人を犯しているから相当な重罰を受けそうだが、それは本作の関知するところではない。物語は決着をつけずにバッサリ終わっているのだから。それよりひっくり返ったコップを元に戻そうとする宗俊と市之丞の姿勢が健気である。お浪を助けるためとはいえ、問題児を命懸けで逃した侠気はせつないものがあった。

当初、宗俊は見た目が地味で主人公には見えなかった。髷を結ってないうえ、着物もシンプルである。一方、相方の市之丞は侍なので派手だ。髷を結って腰に二本差している。着物も相対的には目立つようなデザインだ。洒脱な会話でこちらを笑わせてくるのも市之丞である。じゃあ宗俊に見せ場はないのかといったらそんなことはなく、終盤で坊主の扮装をして大芝居を打っている。これが普段の言動とまったく違うから面白い。ちゃんと支配層の言葉を話し、態度も実に優雅である。宗俊を演じているのは河原崎長十郎だが、こういうとき歌舞伎役者は強いものだと感心する。

小柄のプロットは「偽物」を巡るプロットでなかなか巧妙だった。盗まれた小柄が競りに出る。それをよく出来た偽物だとして競り落とす。元の持ち主に小柄が戻っても偽物だと思われている。一方、屋敷に乗り込んできた身分の高い坊主。彼のことはみんな本物だと思っていたが、後になって偽物だと発覚した。偽物だと思われていた小柄とはあべこべである。そういう小さな混乱をアクセントにしているところが面白かった。

お浪を演じているのは当時16歳の原節子だが、確かに守ってあげたいと思わせる愛らしさがあった。江戸の路地裏に咲いた一輪の花といった風情である。これがもし醜女だったら宗俊も市之丞も助ける気が起きない。日頃からルッキズムに批判的なフェミニストは怒るべきではないか。