海外文学読書録

書評と感想

川島雄三『あした来る人』(1955/日)

★★★★

実業家・梶大助(山村聰)の元に娘・八千代(月丘夢路)の紹介で曾根二郎(三國連太郎)という青年がやってくる。曾根はカジカの研究をしており、そのための出版資金を必要としていた。一方、八千代には夫・大貫克平(三橋達也)がいるが、彼との仲は良くない。克平は八千代より山登りを愛している。さらに、梶は若い女・杏子(新珠三千代)のパトロンになっており……。

原作は井上靖の同名小説【Amazon】。

男女のすれ違いを描いたメロドラマ。どうせ和解して終わるのだろうと高を括っていたら、段々と拗れていって予想外のところに着地した。ラストで教訓を垂れるのは大きなマイナスだが、先が読めない話になっているところは評価できる。敢えて定石を外すことで、現実の厳しさを突きつけているのだ。そう考えると、ラストの教訓は一種のダメージコントロールなのだろう。これは悲しい結末ではない。人生とは得てして回り道をするものなのだ。ネガティブからポジティブへ反転させるという意味で、あの教訓は不可欠な要素だった(もう少しスマートなやり方で反転させてほしかったが)。

本作では男の身勝手さが描かれている。たとえば、実業家の梶。彼は杏子のパトロンになっているが、杏子は自分の娘くらいの年齢だ。見るからに如何わしいが、近年のパパ活と違ってプラトニックな関係である。時折デートするくらいで肉体関係はない。ではなぜパトロンになっているのかといったら、杏子の「若さ」に出資しているのだった。おそらく梶にとって杏子は娘の代わりなのだろう。実の娘は結婚して手元から離れてしまった。だから新しい娘が欲しい。そういったエゴイズムでパトロンになっている。後にそのエゴイズムに大きなしっぺ返しがやってくるが、それも自業自得なのだ。プラトニックであることは免罪符にならない。それどころか、中途半端であるぶん罪深いのである。金持ち特有の鷹揚な雰囲気を漂わせている梶。彼もなかなかたちが悪かった。

克平も梶と同じくらい身勝手だ。特に妻・八千代に対する気遣いがまったくない。八千代は克平に愛されたいと思っているが、克平のほうはどこ吹く風だ。夫婦関係よりも山登りを優先しており、「君とは6年だけど、山とは20年付き合っている」と言い放っている。克平は八千代が父から生活費を貰っているのが気に入らない。一方、八千代は克平が自分を尊重してくれないのが気に入らない。おそらくこの夫婦は見合い結婚なのだろう。しかも克平の上昇婚で、経済的には妻のほうが優位にある。そこで男のプライドが傷つけられているのだ。見合い結婚だから当然ながら愛情もない。だからぎくしゃくしている。後に克平は杏子と不倫するが、それもそのはずで自由恋愛こそが人を燃え上がらせる。打算による結婚に愛情などない。そういう意味でこの夫婦は不幸だった。

印象に残っているシーン。序盤で曾根がカジカの説明をしているが、ここは八千代に説明する回想から梶に説明する現在へシームレスに繋いでいてすごかった。こういうカット繋ぎを50年代にやっていたとは驚きである。また、終盤で八千代と曾根が会話をするシーン。ここではショットが切り変わるときにさっきまでとは一変した位置関係になっていて意外性がある。普通だったら曾根はそこにいないだろう、みたいな位置に曾根がいるのだ。これを極端にしたのが後のジャンプカットであることを考えると、川島雄三のやったことは先進的だったのかもしれない。