海外文学読書録

書評と感想

アルフレッド・ヒッチコック『見知らぬ乗客』(1951/米)

★★★★

マチュアテニス選手のガイ・ヘインズ(ファーリー・グレンジャー)が、列車の中でブルーノ・アントニーロバート・ウォーカー)という見知らぬ男と出会う。ガイには浮気性の妻ミリアム(ケイシー・ロジャース)がおり、彼女と離婚して上院議員の娘アン(ルース・ローマン)と結婚したがっていた。それを知ったブルーノは交換殺人を持ちかける。自分がミリアムを殺す代わりに、ガイは自分の父親を殺してくれという。それを拒否したガイだったが、ブルーノが勝手にミリアムを殺してしまう。

原作はパトリシア・ハイスミスの同名小説【Amazon】。

殺人の捜査において動機がもっとも重要なことをこんな昔から認識していたのはすごい。思えば、アガサ・クリスティの某作【Amazon】も、動機を隠すためにある大掛かりなトリックを用いていた。僕は昔からパズラーには乗れなかったけれど、それは犯行の手段にばかり手間をかけて動機がおざなりだからだ。殺人においてもっとも重要なのはその動機であり、動機こそが人間の業を浮き彫りにする。人はどのような心理で「殺し」という禁忌を犯すのか。また、どのような心理で死刑のリスクを引き受けるのか。僕がミステリから離れたのも、その辺の人間理解に不満があるからだった。

本作で面白いのはガイとブルーノの密接な関係だろう。ガイにとってブルーノは内心の欲望を実行する悪魔で、自分の半身のようなものだ。ブルーノの精神が病んでいるのも、彼がガイにとっての暗黒面であることを象徴している。それは『ドラゴンボール』【Amazon】でたとえると、神様とピッコロ大魔王のような関係だ。神様は自分の内に潜む悪をピッコロ大魔王として切り離したから神様でいられる。そして本作のガイも、自分の暗い欲望をブルーノという精神病質者に分離したから健全でいられる(ガイは名うてのテニス選手であり、これは彼の健全さを強調している)。自分が善でいるために内なる悪を追い出す。そして、その悪が自分に仇をなしてくる。このように本作は、分身のモチーフが全体を貫いていて面白い。

映画としてはヒッチコックらしく小技が効いていた。ガイが電話で殺意を伝えるシーンでは騒音でその声がかき消されたり、ブルーノがボートでミリアムを追いかけるシーンではトンネルに伸びた影でその不穏な雰囲気を表現したり。また、殺人のシーンではミリアムの眼鏡越しに犯行を映していた。この眼鏡はライターの次に重要なアイテムで、後にブルーノの深層心理に訴えかけるような展開になっている。本作にはこのような小技がいくつも仕込まれていて、ヒッチコックがサスペンスの巨匠になったのも頷ける。

メリーゴーランドが暴走して大惨事になるシーンは笑ってしまった。周囲に人が大勢いるのに、刑事がためらいなく発砲しているのはいくら何でも酷い。エンターテイメントにご都合主義はつきものとはいえ、ここまで開き直っているのもなかなかないと思う。