海外文学読書録

書評と感想

新房昭之、宮本幸裕『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』(2013/日)

★★★★

見滝原市。鹿目まどか悠木碧)、美樹さやか喜多村英梨)、巴マミ水橋かおり)、佐倉杏子野中藍)の4人は魔法少女になってナイトメアという怪物と戦っていた。そこに転校生の暁美ほむら斎藤千和)が加わる。5人で順風満帆な生活を送っている中、ほむらがある違和感を覚え……。

魔法少女まどか☆マギカ』【Amazon】の続編。

アニメ映画としてはいくぶん冗長だったけれど、ほむらの歪んだ愛に焦点を当てているところは良かった。そもそも愛というのは常に歪んでいるのではないか。相手を独占したい。あるいは相手を支配したい。双方向ではなく一方通行の愛。ともあれ、そういった欲望を抱いた結果、期せずしてほむらの目的はキュゥべえと同じものになっている。というのも、キュゥべえも円環の理に干渉するためにまどかを支配したがっていたのだ。しかし、キュゥべえにはまどかに対する愛はなく、あるのは徹底した実利である。愛に駆動されたほむらと実利に駆動されたキュゥべえ。本作はまどかに働きかける2つの勢力の鍔迫り合いが面白い。

前半で描かれた理想世界はキュゥべえによって仕組まれた偽りの見滝原だけど、観客としてはここに留まっていたほうが幸せじゃないかと思った。現実よりも夢のほうが幸福なのはよくあることである。しかし、ほむらには崇高な目的があったから永遠に夢を見ているわけにもいかなかった。夢の世界においてもそうした意思の強さを持っているところは感心すべきであり、それはまどかへの愛の深さを物語っている。まどかのためなら偽りの楽園をぶち壊し、魔女化による自己犠牲も厭わない。こうした現実と夢の入れ子構造は『ビューティフル・ドリーマー』【Amazon】を彷彿とさせるし、さらには『マトリックス』【Amazon】を彷彿とさせる。SFとして使い古された設定でありながらも、そこから予想外のどんでん返しを迎えるところに本作の真骨頂がある。

結局、ほむらは神となったまどかの一部を現世へ受肉させたわけだ。これなら夢の世界に留まっていても主観的には同じじゃないかと思ったけれど、しかし一方で、現実ではキュゥべえが円環の理(=まどかの存在)を知覚していてまどかに危機が迫っている。ほむらが世界を書き換えることによって、結果的にはまどかを救済することになった。

あれ? ということはこれってハッピーエンドなのでは? あのままではいずれ円環の理はキュゥべえに支配され制御されていた。それをほむらが阻止した。映画を観てるときは随分ビターな終わり方だと思ったけれど、こうして文章にしてみるとなかなか合理的で隙がない。ほむらは人間としてのまどかを取り戻した。そのうえ、キュゥべえの野望(魔法少女たちを魔女化させて多くのエネルギーを得る)を打ち砕いた。一石二鳥ではないか。歪んだ愛がまどかのみならず、魔法少女たちを救済している。これは思いも寄らなかった。

とはいえ、新しい世界が魔法少女にどういう代償を求めているのかは謎である。それは続編の『ワルプルギスの廻天』で明らかにされるのだろう。今から楽しみで震えてきた。