海外文学読書録

書評と感想

東陽一『サード』(1978/日)

サード

サード

  • 永島敏行
Amazon

★★★

高校生の妹尾新次(永島敏行)は殺人を犯して少年院に入っている。彼は野球部で三塁手をしていたことから「サード」と呼ばれていた。彼は自分が長打を放ってもホームベースにたどり着けないという悪夢を見ている。サードは娑婆にいた頃、女子の「新聞部」(森下愛子)と共謀して売春の斡旋をしていた。ある日、彼らはヤクザ(峰岸徹)とトラブルになり……。

若者の閉塞感を描いた青春映画。途中まで少年院を題材にした疑似ドキュメンタリーかと思っていた。

サードや新聞部といった男女4人組はこの町から出たいと思っていて、その資金を稼ぐために売春に手を染めることになる。驚くべきは新聞部が処女だったことだ。性経験がないのに売春で稼ごうと言い出すあたり、よほど切羽詰まっているのか、あるいはこれからやることに想像が及ばないのか、とにかく、身を削ってまでして町を出たいというのは伝わってくる*1。サードによると、彼の地元は「死んだような町」らしい。僕は自分の故郷にはわりと満足しているので、彼らの閉塞感がいまいちピンとこない。けれども、団塊の世代集団就職が終焉していた当時、この手の若者が地方に燻っていたことは想像に難くない。それに当時はインターネットがなかった時代だから、「死んだような町」に住んでいてもやることがなくて退屈してしまう。生きる実感を持つためにも町を出ていくしかない。町の外に希望を見出すところは『ひぐらしのなく頃に業』【Amazon】にも見られる問題意識で*2、昭和後期の地方民にとっては当たり前のことだったのだろう。これが解消されるのはおよそ20年後、インターネットの普及を待つしかなかった。昭和とはつくづく暗い時代だったと思う。

サードはホームベースを「帰るべきホーム」に見立てているけれど、人生におけるホームベースなんてとどのつまり「死」でしかないだろう。サードにホームベースが見えないのは、彼がまだ若くて「死」からほど遠いからだ。その証拠に、僕くらいの年齢になると薄っすらホームベースが見えている。ともあれ、一度出塁したランナーはホームベースという名のゴールに向かってひた走るしかない。サードは欠落を抱えているようで、その実「死」を意識せずに済んでいる幸せな境遇と言えよう。これこそが若さであり、青春の鬱屈とは僕にとって眩しいのだった。

護送車が祭りの行列の中をのろのろ進んでいく絵が良かった。冷静に考えると、あそこは歩行者天国で車両の通行は禁止されているはずだけど、とにかく映像としては対比効果が抜群でインパクトがある。ハレとケが同じフレームに収まった絵面は、同時に娑婆と少年院の隔絶を表しているようで趣深い。

*1:新聞部を演じる森下愛子がとてつもない美人であることを特筆しておきたい。

*2:このアニメの時代設定は昭和58年(1983年)である。