海外文学読書録

書評と感想

ジョゼ・サラマーゴ『だれも死なない日』(2005)

★★★

国内では新年から突然人が死ななくなった。どんな病気になっても、どんな重体に陥っても、誰一人死なない。これにはカトリック教会や葬儀屋、生命保険会社などがお手上げになった。ところが、国外では死が有効に作用しており、一部の不届き者が死に損ないを国外に運んで死なせている。やがて死を司る死(モルト)が気紛れを発揮し、死についてのルールが変わるのだった。

翌日、人はだれも死ななかった。人生の規則に絶対的に反するこの事実は、さまざまな状況のもとで、人びとの心にとてつもなく大きな、完全に正当化できる不安を引き起こした。なぜなら、全四十巻からなる地球の歴史をひもといてみても、いまこうして起こりつつある現象が、ただのひとつも、ひとつたりとも、書かれていないことを思い出すだけでよかったのだ。たっぷり二十四時間ある丸一日のあいだ、昼も、夜も、朝も、夕方も、病気による、致命的な墜落による、あるいは成功確実な自殺による死というものが、ただのひとつも生じなかったことが。祝祭の場でよく起こる交通事故でも人は死ななかった。(p.7)

本作は文体に特徴があって、古き良きヌーヴォー・ロマンを読みやすくしたような感じだった。ひとつの文章が通常の小説よりも長く、会話と地の文が融合している。ストーリーはこの文章を前に進める動力として割り切ってる節があり、極端な話、題材は何でも良かったのだと思う。全体としてはユーモラスな雰囲気が好ましく、自意識過剰な語り手の茶目っ気あふれる語りに魅了された。語り手は人間界の出来事のみならず、実体のない死(モルト)の現況も語っていて、お前は何者やねんと苦笑してしまう。

前半は死が消えたがゆえの社会構造の変化が描かれている。たとえば、カトリック教会は人が死ななくなったせいでその役割を失いつつあった。死がなくなったら復活もなくなってしまうため、キリスト教の根本原理が崩れてしまう。そもそも宗教とは人々が抱く死の恐怖の上に成り立っている。永遠に生きることになったら宗教も用済みになってしまうのだ。宗教とは葬儀屋や生命保険会社と同じく人の死を食い物にしている。その搾取構造を皮肉たっぷりに示したところが痛快だった。

誰も死ななくなると当然、葬儀屋や生命保険会社といった世俗の産業も困ったことになる。商売の前提が変わることで、日本の印章業界や自動車業界と同じ構造転換を迫られるのだ。また、病院ではいつ生死が決まるか分からない宙ぶらりんの患者が増大し、医療崩壊の危機に陥っている。人間社会とは生と死の循環によって回っており、片方が止まると立ち行かなくなるのである。ちょうど入口だけ開いて出口が閉まっている状態。我々はつい不老不死を夢見るけれど、人間社会にとって不老不死とは全然いいことではないのだ。社会を円滑に回すには誰もがきっちり死ななければならない。それはまた一抹の寂しさを感じる。

後半はマクロからミクロに焦点を合わせていて、死(モルト)とチェロ奏者の接近がスリリングだった。死(モルト)はすべての人間の死を司る女帝であるけれど、一方で実はシステムの一部でしかなく、官僚のように規則に従う必要がある。終盤ではそんな彼女が人間味を露わにし、ロマンスの気配すら漂わせているのだから面白い。

本作は良くも悪くも文体が肝なので、それに乗れるかどうかが評価の分かれ目になるだろう。個人的にはそこそこ楽しめた。